『中世とは何か』
『中世とは何か』ル・ゴフ 藤原書店 2005年3月(原著 2003年出版) 『時代区分は必要か』という本の中で、著者は、「時代はそんなに簡単には変わらない」と言っています。著者の「長い中世」という概念はこの著書に置いてよりはっきりと読み取れるように思います。 本題に入る前に、著者の皮肉な言葉を引用しましょう。 「我々の社会はほんの些細な変化(サッカーのスコアとか株式相場の下落とか)でもむやみに「歴史的」という言葉を使いたがる」(P92) これは、一言でいえばコマーシャリズムに浸食された考え方だと言えます。「従来のものより新しくなりました」「従来のものとはここが違うのです」。大は車から,小は化粧品、洗剤まで、CMはみんなそう叫んでいます。 その結果、たとえば、「昨日出たCDよりも今日出たCDの方がより素晴らしい」となり、むやみやたらと「新ジャンル」が作られるようになります。 1970年代にロックにどっぷり浸かっていた私は、「アート・ロック」「サイケデリックサウンド」「ヘビーメタル」「グラムロック」「フォーク・ロック」などの言葉を耳にしてきました。 その「画期的大変化」というシロモノが、いわゆる「新橋界隈の文明開化」であるのか、それとも経済的基盤、人々の心性、生産様式、様々な面にわたって大変化が起き、多くの人々が大きな影響を受けて生活が一変する(その期間は一年、二年単位ではなく長きにわたることもありますが)様な変化であるのか。 著者は、ルネサンスも、新大陸渡航と、富のヨーロッパへの流入も、宗教改革も「長い中世」の中に含まれるとしています。この本の中で、或いは『時代区分は必要か』の中で、著者はヨーロッパにおいて中世は18世紀まで続くと述べています。 また、「中世」という歴史的用語はヨーロッパに限定されるべきであると著者は主張しています。「中世日本というような概念は必ずしも適切であるとは限りません。・・そこには西洋的観点の度を越した拡張があるのです。アメリカについていえば、誰がアステカ族を中世という観点から研究するでしょうか」(P111) この部分は私の中では盲点で、改めて、「日本で歴史研究の中でなぜ「中世」という言葉が使用されるようになったか?」という問題について調べてみたくなりました。 著者は、ルネサンスは、中世と完全に断絶した状態で出現したわけではなく、中世に多くを負っているとして、「暗黒の時代」と貶められていた「中世」の豊饒さを具体例を引いて示します。また、「ルネサンスは一つだけあったのではなく、複数存在していた」という大変に魅力的な事実を提示します。 それには政治的思惑も存在しています、たとえば「カロリング・ルネサンス」。この期を特に重視したのがドイツとフランスですが、それは、シャルル・マーニュ(カール大帝)はドイツ人なのかフランス人なのかという問題のたて方にも起因しています。もしもドイツということになれば、最初のルネサンスをドイツ発祥のものとすることができますから。 ただ、これは、私のような現場の人間にとっては、扱い方が難しい問題で、ルネサンスを教える時に、「いかに中世と断絶しているか」を教える方が、「いかに中世と連続しているか」を教えるよりも教えやすいという事情があります。教科書もそのような記述になっています。ですから、「連続性」について教えようとすれば、生徒の中に生じる既習知識とのぶつかり合いと、そこから生じる混乱とをどう最小限にするかに気を配らねばなりません。 ともあれ、大いに知的な刺激を受けた本でした。