レーサーの死・・・
出版時より気になっていた「レーサーの死」黒井尚志著をこのほど読む事が出来ました。レーサーの死アイルトン・セナ(享年34歳)1994年5月1日・イモラ セナさんの事は今更語るまでもないですね。ローランド・ラッツェンバーガー(享年31歳)1994年4月30日・イモラ チーム・サードに所属し日本でもレース活動されておりました。福沢幸雄(享年25歳)1969年2月12日・ヤマハ・テストコース サチオさんは諭吉さんの曾孫に当たります。 訃報を聞いた恋人の歌手「小川知子」さんが、歌番組「夜のヒットスタジオ」の 生放送で号泣して世間の話題にもなりました。 愛車のミニ・クーパーは、かまやつひろし→森山良子→直太郎と 乗り継がれているらしい。川合稔(享年27歳)1970年8月26日・鈴鹿サーキット Oh!モーレツの「小川ローザ」さんと結婚。 漫画「サーキット」の狼の飛鳥ミノルのモデルともいわれています。鈴木誠一(享年37歳)1974年6月2日・富士スピードウエイ 現「東名パワード」の創設者でチューナーとしての腕も一流。風戸裕(享年25歳)1974年6月2日・富士スピードウエイ 当時F1に一番近いといわれていました。 漫画「サーキットの狼」の風吹裕矢のモデルとも言われています。 山梨県竜王に「ピットイン」という喫茶店(レストラン)があり、 メモリアルミュージアムを兼ねておりましたが、 今でもあるのでしょうか?高橋徹(享年23歳)1983年10月23日・富士スピードウエイ 星野一義、中島悟、片山右京らが所属していた 田中弘氏率いる「ヒーローズ」で将来を期待された若手でした。小河等(享年36歳)1992年5月23日・鈴鹿サーキット 地味な存在でしたが海外での評価が高かくF1のオファーもあったようですね。上記の8名の方について書かれていますが、セナについてはクラッシュそのものよりも、その事に対するCXの報道に対して主眼が置かれて書かれており、その製作に関わった人物は、実は鈴木、風戸が非業の死を遂げたとき東京12チャンネル放映の映像を製作した人物だったとは・・・サチオや、川合の死をT社はマシンの問題は伏せてドライビングミスとして押し通したとの記述がありました。私はT社の車を所有した事はありませんし、欲しいと思ったことも一度もありませんが、今後も購入する事はないでしょう。私がリアルタイムでモータースポーツを観戦するようになったのは70年代に入ってからで、鈴木誠一さん、風戸裕さんが落命した富士GCも12チャンネルで視聴しておりましたが、子供だった私は人の死というものを受け止められなかった・・・少年ビアンコにとって最も敬愛するドライバーは風戸裕だったのです。当時モータスポーツは、東京12チャンネルで放映されておりまして欠かさず見たものですし、海外のレースはTBSがル・マンやF1の数戦を放映していたものです。正直言って書を読んだ事により気が重くなってしまったのも事実ですが、彼らの勇姿や偉業を忘れてはいけませんし、語り告ぐ事も我々モータースポーツフリークの使命ではないのでしょうか。野球やサッカーだけがスポーツではないのですから。セナに捧ぐ~伝説になった音速の貴公子Q-MODEL 1/43 TOYOTA-7 TURBO レッド 川合稔『富士スピードウェイ』 最初の40年 ミニッツ ロータスヨーロッパ サーキットの狼F-1伝説、風戸裕、ジル・ビルヌーヴ、ニキ・ラウダ 上巻