2019/07/29-8/2 母緊急入院から臨終覚書
================なるべく事実のみで感情を入れず、淡々と書いています。このような内容が嫌な方もいるか、と思うのですがこういう場に書き残したかったので、ご了承ください================7/29(月)朝、8:40頃に母をクルマに乗せて近隣の内科へ送る。この日の母の予定は、近隣内科の次はタクシーで駅前眼科へ行って、終わり次第タクシーで帰宅。足の悪い母にとって、月に一度ひとりで外界を出歩く気分転換の日でもあった。しかし、眼科の帰りにまっすぐタクシー乗り場には行かずに近隣スーパーで買い物をした。何千円か以上買うと無料で家まで届けてくれるシステムがあるので、卵、肉、野菜、トマト、ずいぶんと重量のある買い物をして会計を済ませたあと、突然倒れ、店が救急車を呼び、搬送先はかかりつけの大病院だった。そちらに着いた時には意識不明になっていたらしい。救急隊員さんからオレの携帯に連絡があったのは、12:30ちょっと前。救急隊員さんは「お母さんは具合が悪くなったようだ」と言ったので、転んだんではなくてもしや熱中症?いや、最悪、脳動脈瘤が?いろいろと考えながら、13:00過ぎに病院に到着。約4-50分待ってから呼ばれて処置室へ。担当していただいた医者から出た言葉は「クモ膜下出血」救急車内では何かしらの反応があったらしいが、病院に着いた時には意識不明だったとのこと。カテーテルを使って脳にコイルを挿入する手術の説明を受け、同意書書類サイン。それから移動担架に横たわった母をカテーテル処置室に見送る。14:30過ぎだった。弟、妹、妻に連絡し、2時間ほどで終わると言われた処置を待つ。17:00前に妹、18:00過ぎに妻、19:30過ぎに弟が来たが、未だに処置が終わったとの連絡はない。20:00前に集中治療室に行ってみると、今、終わってこれから集中治療室で準備するのでもう少し待ってほしいと言われた。10分ほどして集中治療室で母と対面、施術していただいた医師から説明を受ける。カテーテルは腿から入れたが、血管が不自然に曲がり2時間近くチャレンジするも上手く脳まで達することができず、腕からに切り替えて17:00過ぎからやり直し、こんどはなんとか患部にコイルを入れて19:30頃に終わったとのこと。緊急手術でとりあえずの山場は越えたが、次は術後2,3日の出血、それを乗り切ると血管が元に戻る収縮時の脳梗塞に2,3週間気をつけないといけないと説明を受け、その時点では自力呼吸、瞳孔も正常とのことで、一旦帰宅。21時過ぎにささっと入浴しビール飲みながら遅い夕食を食べていたら、23:10頃に電話が。病院からで、状態がちょっと良くないのですぐ来てくれませんか?と。取るものも取りあえず、バス通りまで歩いてタクシーを拾い23:30頃に集中治療室着。施術してくれた先生から、再出血したらしいと説明を受ける。瞳孔も開いてしまい、血圧が急激に下がったので、血圧を上げる処置をしているが、この後心臓が弱ってきたらできることは心臓マッサージしかないとのこと。説明を聞いている時の血圧は45-30でとても一晩持たないかも、と思ったが、そのうち薬の効果か、上が60,70になってきた。小康状態になったので、0:30タオルケットをお借りして待合室へ。弟、妹たちにはもしかしたらの事態に覚悟をするように、連絡を入れ、仮眠。7/30(火)灯りとざわめきでなかなか寝付けず、うとうとしているうちに朝5:00。集中治療室の母のもとへ行ってみる。ずっと小康状態のようだ。血圧は75-45昨夜、呼び出されたときよりは上がってはいる。病院内コンビニでおにぎりと乳酸菌飲料の軽い朝食。そしてコーヒー。7:00前なのに病院関係者はどんどん出勤してきて、コンビニでなにかしら買っている。9:00過ぎに弟、妹が来たので会社に。10:00-14:00で一気に急ぎの仕事片付けて、一旦帰宅する途中母が倒れた駅前スーパーに、状況が聞きたかったので立ち寄る。家でシャワーを浴び、遅い昼食はコンビニのサンドイッチと豆乳。16:00過ぎ病院着。朝より容態は安定している様子なので、この日はみな帰宅することに。19:00過ぎ病院を出て帰宅。家で、母の29日の荷物を調べていたらレシートが出てきた。駅前の病院のレシート10:24駅前スーパー1のレシート10:46もう一箇所駅前スーパーのレシート11:398:45に1軒目の医者に連れて行ってから約3時間。10:24のあとタクシーに乗って帰ってきてくれていれば。。。そうしたら、タクシーの中か家で倒れていたのかも。思いは逡巡するばかり。7/31(水)8:00過ぎ集中治療室、看護師さんから夜の様子を聞く。血圧の変動がかなりあったらしい。この時点では105-70病院は妻にいてもらい、会社へ。午後、血中酸素と血圧が落ちてきたと連絡が入る。担当の看護師から、来れる人は来た方がいいと言われたそうで、とりあえず病院へ。16:00過ぎに行ってみると、血圧低いながらも安定しているような?夜は弟妹に任せて帰宅。8/1(木)昼まで会社、その後病院へ行く。数字的には前の日とそれほど変わらなく思える。いや、もちろんやや落ちて来ているんだけれども。その場にいた弟妹、妻と今後の事柄について話し合う。最期を看取ることより、その後のことについて、忌憚なく。おおよその方向性で、兄弟妹間が一致し、その準備等のため、19:00で帰宅する。8/2(金)昼頃には皆、病院へ集合する予定でいたが、7:45頃集中治療室から電話が入る。血圧、脈ともにかなり落ちてきているらしい。前日までの状態から推移すると、昼頃かな?と思い、皆に連絡。しかし、9:15、再び集中治療室から電話が入り、できるだけ早く来てほしいと言われる。9:40病院駐車場、集中治療室に9:45。母のベッドサイドのモニターの数字を見るが、残念ながらすべて「0」ある程度、家族が揃うまでは器具をつけたままにしておく、と言われる。モニターでの数値は0だけれど、呼吸器のおかげで息をしているように見える。10:30過ぎに家族数人が集まったところで、担当医から説明があり、その時刻を以って死亡の確認となった。