男の美学
「男の美学」って言葉、今ではあまりきかれない。そもそも”男”という定義が存在しないし。いや、生物学的にはあるのだが。自分の人生の中で悟った”男”ならば語ることは出来る。女に手を挙げない自分より弱者を守る見苦しい言い訳はしない強く優しくあれと、こんなところだ。自分に全てあてはまる、とは言えない。意にそぐわない時もあるからだ。ただ、基本は忘れないで、常に自分と照らし合わせて生きたいとは思う。自分の人生の中に美学の無い人は悲しい。悲しいし、可哀相すぎる。今、日本の問題として”凶悪犯罪の増加”がある。平気で高齢者からカネを騙し取る。平気で女を殴り、カネを奪う。大勢で一人をボコボコにし、硬派を気取っている。カネのためなら、偽装も粉飾もなんでもやります。こんなんで、「俺の生き方、拘りがある。」って、言えるのか?なんでもかんでも”政治、社会が悪いから”俺本来の良さが出せない、とか開き直って甘えているだけじゃない?もちろんカネも大事。でも、ヒルズに住む事がステータスとか、ブランド品しか買わないとか、そんな人生虚しいだろうに。都心に住む金で郊外に広い土地を買い、自分の好きな家の設計を考え、例えば趣味なクルマやバイクと暮らす。そんなことも出来る。でも美学の無い人はそういう未来や理想、夢も想像できないんだな。だからマスコミに踊らされる。すぐ真似をする。良い事も、悪い事も。ちょっと前にどこかで読んだ話だが、10代の頃から田畑を耕し、もう90歳近いおじいちゃん。毎日同じことを何十年繰り返している。そんなおじいちゃんの毎日の習慣であり、最大の楽しみは晩酌だ。たかが晩酌と笑う事なかれ。朝出がけにポットに焼酎とお湯を入れ、ぬるめにセットする。仕事がはかどっても、はかどらなくても、決めている。空が夕日に染まる頃に仕事は必ず終えるという事。帰宅後、魚をあぶり、愛用の酒器を用意して、晩酌の開始だ。おじいちゃんの顔がほころぶ。生きている実感が湧く。それもいい。実にシンプルな生き様。「おじいちゃんの”美学”だ。」素晴らしい、といえないか?”美学”を持たない人達、もし世の中にカネがなかったとしたら、なにを支えに生きていくんだろう。それなりに何かを見つけることが出来るのだろうか。