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カテゴリ:日々色々(その他)
シルバーウィークの休日が明けた日、東京は午後から雨が降り出した。その日の深夜のニュースで、川島なお美の訃報が初めて伝えられた。 翌日は朝から雨。 他界した彼女に関する続報がメディアやSNSから流れてくる。 ボクはそれらをバックグラウンドに、1980年前後の東京を思い出していた。 その後のバブル期を予感したかのような、当時の世俗をひとりの女子大生を通して描いた田中康夫の芥川賞受賞作「なんとなくクリスタル」。 生活臭がなく、自由奔放に消費社会を駆け抜けようとする反面、都会をランニングしながら掻いた汗の実感を大切にする主人公。 そんな主人公のイメージがデビューしたての川島なお美とオーバーラップする。 高度成長期を終え消費社会を迎えた日本。 そんな80年代初頭、新星の如く現れた青学の女子大生が川島なお美だった。クラスに居そうで居ないマドンナ的存在。憧れてもけして近づけないが、彼女から発せられる新鮮な力強さからは、泥臭い苦労など微塵も感じさせられなかった。 明るく、可愛く、それでいて自分の夢をポジティブに具現化しようとしていた。 欲望に忠実であったからこそ自然と滲み出てた汗。 そんな初々しい姿勢が美しかった。 好きなこと、目指すこと、それに向かい、がむしゃらに走る。それが苦しいとか、辛いなどとは思わない。若かりし頃、誰しも味わう事ができる筈の一瞬の輝き。しかし、それを全ての若者が体感できるわけではない。 川島なお美は時代が求めていたマドンナ像をこの時代から既に演じていた。可愛らしい容姿とウィットに富んだ話術は天性のものがあった。それは彼女のファンでなくても、気持ちを明るくさせられ、ポジティブ思考に導かせるパワーを貰えた。 時代はバブル期を迎えると、ジュリアナお立ち台に象徴されるように、過激な世俗が求められるようになった。それとともに、女子大生タレント・川島なお美の存在は薄くなる。既に彼女自身それを予感してたかの如く、本格的に女優転身を計ってたように思える。 個人的にはそこまでの彼女が好きだった。 90年代になると彼女はドラマ「失楽園」に代表されるように、主演を張れる女優として一時ブレイクする。しかし、そんな彼女に自分は魅力を感じなくなり、いつか遥か遠い存在となった。 ボク自身、もうマドンナやヒロインを求めなくなったからだ。 時代は更に進み、彼女もボクも全く別の世界で生きながら同じように歳を重ねてた。あの輝かしかった筈の80年前後など遠い記憶の彼方の存在となりつつも、同時代を生きたもの同士、第二の青春を謳歌する筈だった。そんな中の突然の訃報。それは同志が戦死したかのように錯覚させられる位ショックだった。遥か遠い存在の彼女なのに。 雨の日には遠くが見える。 それは痛みを伴う懐かしさでもある。 最後に、川島なお美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 26, 2015 07:58:30 AM
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