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2005年06月19日
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カテゴリ:佐竹氏
いろいろと気をつけたつもりでしたけど、前回の日記も微妙に主語がびしばし抜けてますね、反省、、、
今回は所かわって常陸(茨城県)で、関東での関が原の戦いでのキャスティングボードをにぎることになる佐竹氏について、もう一人の主役伊達政宗公とからめて書きます。
佐竹氏の祖先は、平安時代源義光の後裔で武田信玄も義光の後裔である。
義光の兄に源義家がおり、4代あとに源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)がいます。
佐竹氏が常陸の国の守護となったのは9代目貞義のころで、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕に失敗し笠置山にのがれた1331年のころである。
その後代々常陸の国の統治にあたっていたが1416年13代義人公への家督相続にあたり庶子である山入氏が反乱、その結果100年にわたり、常陸の国に争乱が続いた。1490年16代義舜公(よしきよ)は、母方の実家大山氏・妻の実家岩城氏の助力を経て再び常陸の国を治め家法23か条を制定、軍事力の強化を図った。さらに18代義昭公は1557年下野国(栃木県)の宇都宮氏の内乱に介入し、宇都宮広綱公の復帰を助け、義昭公の娘を娶らせ血縁を結ぶことに成功、また常陸の国に隣接した陸奥南郷(福島県白川地方)を1565年押さえるとともに、ここが伊達家との争乱の地となる。
戦国大名として雄飛する19代佐竹義重公が、1562年16歳にて家督を継ぐこととなる。(20代目が佐竹義宣であり、関が原にかかわってくる)






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最終更新日  2005年06月20日 03時26分07秒
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