熊、米沢へその7
伝国の社をやっと見終わったわけですが、この時点で午後1時を回っています。というか、一週間かかってまだ4時間半しか進んでいないわけですが^^;ちなみに、米沢の町にはそこかしこに「毘」マークと「龍」マークの幟が掲げられているのですが、毘マークは、謙信公が信仰していた毘沙門天から来るマークで常に本陣に掲げられており、降魔の軍を意味していたようです。そして、龍マークの旗が本陣に掲げられたときは進軍を意味していたそうです。さらに紺地に赤の日の丸の旗もあり、これも進撃するときに掲げられたそうですね。いろいろと自分の信仰にこだわりをもって戦場に臨んだ謙信公の姿が偲ばれます。ちなみにこの本当の旗も、上杉神社横の宝物館にあります。ということで、伝国の社をあとにし、お次は上杉記念館へ。もと、米沢城の二の丸の跡地に明治の初め、第14代茂徳公の上杉伯爵邸としてつくられた建物だそうで、広いお庭がみられ、またたてものの中で米沢牛などのお食事ができるようになっています。ただ、日曜日とかは観光客の予約でいっぱいのようで、ここで食事するには予約しておいたほうがよいみたいですね^^;ということで、ここはさらっと流して次へ。なんでもない住宅街の中にぽつんと「餐霞館遺跡(さんかかんいせき)」石碑がたっており、されにその奥にちょっとした公園と、上杉鷹山公の姿のはいった次の銘がはいった石碑がありました。「成せばなる 成さねばなならず なにごとも 成さぬは 人の成さぬなりけり」何事も失敗しようとも実行なくして成功なしという上杉鷹山公のすべてを表すような一文ですが、最後になしただけにおもみのあるお言葉ですね。この場所は1785年鷹山公がご隠居したあと、11代藩主治広公、12代藩主斉定公のときに、政務をとられた場所で、お城の南にあたるので南亭ともよばれたそうです。先ほどのお言葉もこのたてものの一室に掲げられた壁書の最後の一文だそうです。いろいろと悩みながらも並々ならぬ決意で政務に望んだ心構えが偲ばれます。また、このお庭には池があり、鯉の稚魚を育てられていたそうですが、これも先日お話したように、自給自足の生活の一環でそだてた鯉を冬の重要な蛋白源として食されたそうで、鯉料理も米沢名物の一つのようですね。そして、最後の目的地、春日山林泉寺へ、、、というところで、以下次回。