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明日引っ越します。
新居。お城。 ポーンッと自由になる実感がなかなかないけど 自由になるんだーと考えてる。 好きなことが出来る。 大学出たって仕事につけなきゃ意味がないんだから所詮この4年間なんて通過点。 大学でたら、もしくは在学中に、海外でも行ってくる。数ヶ月、1年、出来れば数年。 こうやってあたしはどんどん遠くに逃げていくんだ。 最後に一番遠いところに逝く。 昨日、生後3日の赤ちゃん抱いた。親戚。 何にも知らなくて、寝て泣いてミルク与えられるだけの弱い存在を見て、自分も18年前はこうだったのだろうけどきっと今もほんとはなにも変わってないんだと思う。 でもちっちゃい、3キロもないほにゃほにゃのかたまりが 命 って感じがして 抱いてる時泣きそうだった。多分涙目だったけどだれにも気づかれなくてよかった。 3日前にはこのセカイに存在しなかった命なのに 今あたしの腕の中にいるってのはどういうことなんだろうか。 そんで あたしが生まれたときは ダレがいまのあたしと同じことを考えたろうか。 新しく生まれてきた命を見たけど あたしは自分の命を捨てる予定でいるし。 それって よくわからないけど 怖いかもしれない。 同じ血が少しは混じっているその赤ちゃんが あたしのようになる可能性は0ではない。はず。 あの両親なら愛されてよい子に育つと思うけど。 あたしも一回子供でも産んでみたら なにか感じることがあるんだろーか。 死ぬ前に産んでみようかな。 とすると学生のうちなので勘当されるやもしれないが。 生んだ親が子供を愛するのは当たり前、と思っているその赤ちゃんの母親を見て びっくりした。 うちの母親に育てられた私はそんなことを考えたことも感じたこともないから とてもびっくりした。 あたしはきっと 殺してしまうだろうなぁ。 それか 母がアタシにしたように 従順な機械につくりあげる。 やっぱりあたしはこの母親から生まれてきたから 全てを狂わされたんだとすごい勢いで脳髄まで知らしめられて いま落ち込んでいる。 新しい町の病院に 母と行った。 精神科じゃない病院。 治療。外見に関する。 でもそこの医師は 母が長女のあたしにこの症状がこんなにもひどくあらわれているのに 病院につれていったことがないなんて と驚いて母を強くではないが批難した。 実はそれは わたしが1人で先月行った違う病院の医師にも言われたこと。だけど母にはそう言われたことは言っていない。言えなかった。 普通はこんな症状だとちいさいうちに親がコドモをつれてくるのだそうだ。 待合室はそんな親と幼稚園児や赤ちゃんであふれていた。 しかもあたしのは重度。日本の先端の方法でも治療に15年かかる場合もあるらしい。内臓疾患からきている場合もあるらしい。 それなのに母はあたしを放置した。普段の生活が困難になるわけではないけど、一目見ただけで以上と思える症状が全身にでているのに。 どうしてワタシは10年以上も苦しんで苦しんでいっぱいひとりで泣いて 我慢してきたんだろう。 母がわたしを病院につれていかなかったからなんだ。 所詮あたしの外見なんて 母にはどうでもよいことなんだ。 10歳くらい、あたしの『コレ』はなんなんだろうと 母に聞いたことがある。 『あんたが小さい頃に悪いことばっかりしたから仕方ないんだっ!!!』 と怒鳴られて、あたしは数年間それを信じていた。 今回行った病院の医師はそれを見るなり 『ああこれは・・・』 と言葉を失ってあたしの患部の写真を撮った。 ポラロイド写真に収まったそれは 自分で自分の体を見るよりも怖かった。 明日もう一度その病院に行く。 母は医師の態度が気に入らないといって 帰り道激怒した。あたしにも医師にも。 『そんなもん気にしなければ生きていけるんだ!!』 と。母が普通の考えをもった母で、あたしをきちんとちいさいうちから病院につれていっていれば今更こんなことをしなくてもよかったのに。 母はわたしの外見をいつもいつもいつもいつもいつも罵って、 そんなんじゃあろくな職業につけない、だとかいう。あたしが『●●とかになりたいなー』というとワタシのその疾患や顔、体すべての欠陥をあげつらって 『なれるわけがない!!!』 と罵倒する。 あたしはすべてをあきらめているけど それは やっぱり母のせいだ。 逃げるしかない 逃げるしかない。 体売ってでもなにをしてでも お金を稼いできれいになる。 明日で自由になるんだから この一日を我慢しなきゃ。 今日一日を頑張って過ごすんだ。 寒い きもちわるい 薬のみたい 助けて欲しい 母を殺したら 逃げられないんだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年04月02日 17時36分16秒
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