カテゴリ:読書
「オネーギン」は、韻文小説だそうです。 ロシア語で韻を踏んでいるから、原文で読むのが一番美しいのでしょう。 それでも訳者は、とてもきれいにまとめています。 「オネーギン」を読みながら、 美術が好きで、いろんな美術書を図書館で借りてうっとりしたり、 かつて京都の美術館巡りをしていたりした学生時代、 20年近く前に美術雑誌を毎週500円で売っていたのを、結構買っていたりした あの時の、土台が、今生かされている気がしました。 あと、歴史書とかも、背景がわかるので、今更ながら、繋がってきます。
「オネーギン」の主役は、恋にたけたオネーギンに振られてしまったタチヤーナなんだと思いました。 かつては、オネーギンに熱烈な告白の手紙を書き、オネーギンに受け入れられなかった田舎娘のタチヤーナ。 (プーキシンは書いている。タチヤーナとは、田舎娘によくある名前だ。と) しかし、オネーギンから遠ざかって、運命はめぐり、タチヤーナは、とある公爵夫人になっていた。 再会したオネーギンは、かつて田舎の景色の中で観たタチヤーナではなく、見事に君臨する夫人としてのタチヤーナに恋をする。 今度は、オネーギンが、タチヤーナへの熱烈な恋文をしたためる。 しかし、覆水盆に返らず、 過ぎてしまったことはもう遅すぎる。 タチヤーナは、オネーギンへのかつての恋心を胸に抱きながらも、夫に操を立てると、オネーギンに言い放つ。 なんて立派なんでしょう!タチヤーナ!!!! 私は、すっかりタチヤーナの気分で一気に読みました。 タチヤーナが、オネーギンに恋い焦がれた時に、私も恋い焦がれたのです。 そして、その恋を邪険にされたとき、私も邪険にされたのです。 なのに、それを忘れたかのように、ヘコヘコ恋文を送ってきたオネーギンは、もう、遅すぎたのです。 そんな歌、オフコースにもあったような?なかったような? 恋はタイミングが大事です。 ずれてしまった時計の針は戻りません。 あの時、ああ言ったら、違った道が続いていたかもしれない。 みんな、どうなるか分からない選択をしながら、毎日生きているんです。 各々の人生が、どこかで交差する時に、手を差し伸べるのか、払いのけてしまうのか、それでその人との人生のかかわりが続いていくのか、消えていくのか、その時、当人たちは、気づけるのでしょうか? 気づくのは、たぶん後になってからなんでしょう。 選択は、誤りたくないですね。
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最終更新日
2008.03.07 20:17:32
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