カテゴリ:読書
今、ある本を読んでいます。 ふつうは一般的には読まない人の方が多いジャンルです。 私は、教育者側の読む本を読んだりします。 (図書館に置いてあるから) 今日読んでいた本は、それにちょっと近かったです。 保護者に向けてでもあり、学校側に向けてでもあります。 内容的には、すべての子供対象ではありません。 でも、読んでいて、なんだか自分にも当てはまるかな~?って思いました。
対象となる子供は、ごく限られた子供ですので、 一概にこれを読んで頷かないで結構です。 でも、私は、このページを読んだ時に、歯医者の待ち時間ながら、ちょっと涙が出そうになりました。
そこには、見出しに、 「わかりあえる仲間がいればよい」 と、書かれていました。
要約すると、 友達が多いのは素晴らしいことだが、人数ばかりにとらわれてはいけない。 もしも、子供がどんな相手とでも友達になろうと、とにかく友達を増やそうと無理をしていたら、止めてあげる。 ただ知っているだけの相手を何人も増やすことより、本当に分かりあえる仲間、感情をわかちあえる仲間を持つことの方が、その子の成長にとって大切。 友達が多くなくても、十分に幸せになれるのだと、話して聞かせる。
これは、重複して書きますが、すべてのお子さんに当てはまることではありません。 でも、これって、自分にも当てはまるな・・・と思いました。 もちろん娘には当てはまります。 呼ばれたって、ついて行かなくったっていいんだよ。 呼ばれたからって、仲良しってわけじゃないんだよ。 忘れちゃいけないよ、その子に何をされたのか? 「ごめんね」と言われても、それは、心の奥では決して「もういいよ。」って許しちゃいけないんだよ。 その子は、要注意だよ。 気をつけて、気をつけて。
結局前回の事件が、尾を引いています。 相手は、なんとも思っていない。 またトイレで、今度は「秘密の話」とか言って来たらしい。 絶対に、前回のことが響いていない。 やっぱり限界だ。 先生に伝えた。 意見を撤回するようで恥ずかしいが、やはり親御さんに知ってもらいたい。 学校側は、スクールカウンセラーとも話し合って、時期を計ると言っていた。 仏の心でいたけれど、 何だかその子に裏切られた気がする。 いや、裏切られたというよりも、 ちっともその子に、自分の罪を理解されていなかった気がする。 あんな配慮しなくてよかったんじゃないのか?と今更反省してしまった。 やっぱり、子供だけに指導したって、何にも変わらない。 学校の顔と、家の顔と使い分けていたら意味ないじゃん。 学校で先生に注意されたことを、家に話してなかったら、親にはずっと知られないままだ。 現に去年もそうだった。 去年も娘はひどい目にあった。 あれだけこっぴどく先生から叱られた子供たちは、家に帰ってそのことを親に言っていなかった。 涼しい顔して家で生活していた。 校長に担任が事件を報告したら、「即刻各家庭に事実を報告するように」となった。 担任が、各家庭に通達したら、血相を変えて謝って来た親が5人中2人、電話で謝って来たのが5人中1人、音沙汰なかったのが5人中2人だった。
相手を思って穏便になんて不要だったんだ。 相手にそれを受け止められる土壌が果たしてあるのか?と学校側も危惧する。 でも、考えてみて。 自分のときだって、最初から土壌なんてなかった。 頭をガツンガツンとぶつけながら、受け皿が広くなっていったんじゃないの? 荒治療かもしれないけれど、 ガツンとなりながら、強くなっていってもいいんじゃないの? それが子育てってもんじゃないの? 子供を産んだ分、どの子にも等分に責任を果たすのが親じゃないの?
ああ…またヘビーになってしまったわ・・・(反省)
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最終更新日
2008.05.16 12:40:35
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