テーマ:☆主婦の生活☆(1566)
カテゴリ:精神的苦悩・・?
娘が小学1年生の半ばぐらいから、家族4人で行動をするようになれました。 それまでは、なかなかまとまって行動をするというか、出かけることに困難がありました。
単なるイオンの買い物ですら、「疲れ」ました。
娘は小学1年生になって、飛躍的に落ち着いて、いけないことはいけない、危険は危険、といきなり社会的ルールを守れる子になったのです。
それで、公共機関(病院・市立図書館・役所・乗り物・映画館)など、尻込みしないで、どんどん連れて行って、そこでのマナーやルールを、その都度その都度教えてきました。 今も教えています。
図書館に子供を連れて行けなかったときは、一人で平日に行ったりしていましたが、やっぱり家族で一緒に40分でも30分でも、たった15分でも、図書館に行くのはとても楽しいし、イベントの一つだし、図書館でのルールもとてもよく守れるようになりました。 小声で話す。 走っちゃだめ。 騒いじゃだめ。 出した本は元の場所に戻す。 借りたい本が見つかったら、静かに持って来る。 パソコンの検索も、順番を守ってする。
病院の待合室では、たとえ2時間近くても、おとなしく座っている。 小声で話す。 バタバタしない。 他の人が、たまごっちや、DSを持っていても、それを覗き見しちゃ駄目。(失礼です) 他の人が、たとえお行儀悪くても、それを声に出して指摘してはいけない。(失礼です) 名前を呼ばれたら「はい」と返事をして診察室に入る。 診察をして頂いたら「ありがとうございました。」とお礼を言う。
どうってことないですけど、当たり前のことですけど、守れた後は、「よくできたね、上出来♪偉い!」って誉めてあげます。 だって、普通の人が見たら、当たり前かもしれませんが、娘が頑張って出来ていることを知っているのは、公共の場所において、親である私しか知らないのです。 親が評価してあげなかったら、誰も娘を評価しません。 「あそこが凄く良かったよ~!でも、ここは、ちょっとおしかった。今度は、こういう時はこうしようね~。」と具体的に評価&課題設定の繰り返しです。
そんな風に、娘と図書館に行けなかった時代は、図書館バスで本をよく借りていました。 月に1度近くの公園に移動図書館のバスが来るんです。 こっちで借りるのも、また楽なんですけどね。 その時何気に借りたかわゆいピンクの子育て本が、 でした。 借りてから気がついたんですが、 当時主人が真夜中に見ていた「オーラの泉」の江原さんの本でした。 主人も内容を知りたいって、その時言っていましたが、 とりあえず一番これは!と思った内容を主人に伝えました。
生まれながらにして困難を抱えてきた赤ちゃんを嘆いてはいけません。 困難を抱えていながら、生まれてきた魂の勇気を評価してあげましょう。 あなたに育ててもらう事を選んで、あなたの元に生まれて来たのです。
・・・みたいな感じのことを、書かれていた気がしますが~(?) 読んだ時は、涙がぽろぽろ流れました。
実は、以前の楽天をお休みする前には、普通に書いていたのですが、 今お知り合いになった方は全く知らないかもしれませんので、 あえて書きます。 本当は、今更書くのもなんだか億劫で、書かなくても別にいいかな~って思ったんですが、 何か嘘ついているみたいで~(考えすぎ?) でも、胸につかえがずっとありました。
娘は軽度発達障害です。
なかよし学級に所属しいますが、普通学級で入学以来毎日勉強をしています。 みんなと同じように勉強をして、 みんなと同じ課題をして、 みんなと同じ宿題をして、 すべて同じにやっています。 鍵盤ハーモニカ(いわゆるピアニカ)も心配していたけど吹けました。 3年生になって、リコーダーが始まる時は、3年生になる前の春休みにちょっと練習したり、家用にリコーダーを別に購入して特訓もしました。 それこそ、涙流して大変でした。 うまくできなくて、いやだいやだと泣きました。 泣いてやめたらすべて止まるので、私は泣いても叱咤激励で頑張ります。 私は、時にお母さんをやめて、療育士のまねをします。 (今は、音楽の先生に、リコーダー上手、と言われています。でもその上手の陰には、もの凄い努力があります。) 4年生になったら、算数で「コンパス」が出てきました。 なんじゃこりゃぁあ~~~!?の世界です。 それこそ、コンパスとの闘いでした、この2週間。 お兄ちゃんと、コンパス片手に問題点を語ります。 何が悪いんだ? コンパスの鉛筆がFなんじゃないのか!? 家の2Bにしたらいいんじゃないのか!??とか研究したりして。 (昨日、先生から、コンパスがグループの中でも上手だと褒められました。でも、その陰にはものすごい格闘と涙がありました。ものすごい数、円を書きました。)
見た目には普通の子と変わりません。 言葉の「てにをは」が未だに時々おかしいです。 だから、ずっと小さい時から言語訓練に通っています。 理科や社会の「想定」や「推理」、「推論」を苦手とします。 具体的でないもの、目に見えないものへの理解が苦手です。 でも、見えるものに対する理解は強いです。 言語で耳から入ってくる情報処理能力よりも、目から入って来る視覚的情報処理能力の方が勝っています。 ふつうは、この二つの処理能力がバランスがとれているんです。 バランスがとれていないから、苦労しています。 「大変ね」 と、よそのお母さんに言われることもしばしば。 でも、それが普通なので、どれが大変なのかもうわかりません。 かえって普通の子はもう、手ぬるいかもしれません。 普通の子供の心を読み取るのなんて、簡単です。 だって、娘の心を読み取るのにどんなに努力を重ねてきたか。
ここ数年の間に、別々の場面で、別々の先生から「療育関係・言語訓練士」に向いている、どう?(やりませんか!?)と評価をされました。 それは、娘がいるから必死なんだと思います。 だから、いろんなアプローチがどんどん出てくるんです。 でも、そういう資格を取るのって、また学校行かなきゃならないんですよね・・・・。 しかも、私、教職はとっていません。。。。はっはっはっは・・・。
娘にばかり気を取られると、お兄ちゃんが腐ります。 お兄ちゃん小学2年生の時に、腐りかけました。 すべての神経が、娘に行ってしまったからです。 修正を加えるのは大変でした。 理解を求めるのも、年齢に応じて説明を変えていきました。 兄妹喧嘩もするけど、やっと、兄妹らしくなったと思います。 それまで一人っ子って感じでしたから。お互い・・・。
こんな妹がいることで?か、お兄ちゃんは、「公平」にどの子に対しても接する、と言う事をいつも先生から褒めてもらいます。 たとえ、自分に意地悪なことをする子に対しても、学級会(クラス会議)などで議長を務めるときは、公平に意見を求めているのが偉い、と言われました。 どんなに頑張っても、絶対負担はかかっています。 でも、仕方ないんです。 これが、我が家なのですから。
で、題名からどんどん遠ざかっていますが、 やっとこさ本題に入ります!
以前小学校のPTA文庫で、江原さんの本を借りました。 この本を借りた時に主人にちょっと自慢しちゃいました。 私「今日ね~新しいPTA文庫借りちゃったんだよ~♪江原さんの本だよ~♪」 主人「へえ~。なんて本?」 私「『苦難を困難に変える方法』!!!!」 主人「え?もう一度言って・・。」 私「『苦難を困難に変える方法』だよ!!」 主人「凄いな~!」 私「凄い?」(借りていることにまだ自慢している愚か者・・) 主人「だって、凄過ぎるよ! 苦難を困難に変える方法なんだろ?苦難ですら大変なのに、それをわざわざ困難に変えるんだよね?凄いこと言ってくれるよね?そうなんでしょ?」 (主人が笑っていた・・・・多分私がまた間違えをおかしていることに気が付いているのだろう・・・・)
・・・・は! もう一度本の表紙をしっかりと読んでみる!!! 「 「苦難を乗り越える方法」でした…正確には・・・。 私読んでいる間ずっとこの本の題名は「苦難を困難に変える方法」って思っていました。 そんなに、これ以上、苦労したいのでしょうか?わたくし・・・・。
実は、こんなししぃーです。 あ~すっきりした!!
かなり長文でした。 こんなだらだらした長い文に、最後までお付き合いして下さった方、ありがとうございました。
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最終更新日
2008.05.20 10:27:12
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