テーマ:☆主婦の生活☆(1566)
カテゴリ:夢のお話
今日は、駅前のメニコンにコンタクトレンズの交換に行ってきました。 私は「アイスト」という種類のハードコンタクトレンズを使っています。 以前、「Z」と言う種類が出た時に、それまで「メニコンO2」だったので、一度変えたのですが、直径の大きさが目に合わなくて、「O2」のままでした。 そのあと「アイスト」と言うのが出まして、O2と直径も同じで、機能アップと言う事でチェンジしました。 ちなみに、4年前から「メルスプラン」というのに入っています。 「メルスプラン」とは、最初一定額支払って、その後は月々「1890円」支払う事で、検査に行くたびに新しいレンズと交換してくれるシステムです。 花粉・雑草アレルギーになってから、コンタクトの汚れがひどくなりまして、この「メルスプラン」は、実によろしゅうございます。 大体、2か月に1回検査に行って、新しいレンズに交換しています。 1か月に1回でもいいんですが、ちょっとずうずうしい???とか恥ずかしくて・・・。
まあ、自分の中で、「1月・3月・5月・7月・9月・11月」てな具合にメニコンに通っています。
メニコン(コンタクト)にしたのは、高校合格とともにでした。 今行っているメニコンも当時のメニコンで、当時と同じビルの中にあります。 目の前には、高校に通う時に毎日乗った、単線の凄い幅の狭い線路が続いています。 たまに、おもちゃみたいな電車が走っていきます。 あれに乗って、高校に通っていたんです。 あれに乗っている時は、もの凄い壮大な道が目の前に広がっている錯覚すら覚えました。 とにかく、凄く楽しかった高校時代。 指定の駐車場からメニコンへの道を歩いていると、自然と口づさんでしまうのが、荒井由実さんの「卒業写真」。 ちょうど、実家が駅から近くて、自転車かっ飛ばして駅前の駐輪場に毎朝通っていました。 かっ飛ばしている道が柳の並木路だったのです。 (現在は道路補正されて柳並木はなくなりました・・・) 「話~かける~ように~ ゆれる~ 柳の下を~ 通った道さえ今はもう 電車から見るだけ~~」 その物でした。 よく、電車で乗り継いで通っていた子が、 「ししぃーちゃんが、自転車かっ飛ばしているの電車から見えたよ!」 と、言っていました。 (駅前の本線は高架線だったのです。) ちなみに、最初就職した時は、隣の県に通勤していたので、その高架線を走る電車に乗って、これまた「卒業写真」の世界に浸ったものです。
でぇ~~~~ 今日、メニコンに行きましたら、 「見え過ぎ状態」 でした。 3,4年前に、一度、見え過ぎるので、度を1段階弱くしたのですが、 これ又、今回両眼1.5を見えていて、 また一つ度を下げることにしました。 メルスプランなので、調子悪かったら次回元に戻せばいいんです。
そのぉ~~~~ 「見え過ぎ状態」について、少しお話がありましてぇ~~~ 検査の人「手元は見えますか?」 わたし(ぎょっ!?)「え・・・見えますけど・・・・。」 検査の人「そろそろ年齢的にも、老眼の対象年齢に入りますので、1.5は、普通の裸眼の人でも老眼になりやすいので、それを遅らせるためにも、少し度を下げましょうか?」
わたくし、老眼予備軍~~?(T△T)
検査の人「大体、お客様の検査をしていますと、46歳あたりから、皆さん老眼が入ってくるようですので、少しでもそれを遅らせるように・・・・」 わたし「ええええ~~~。じゃあ、最近見え過ぎなのって、私老眼なんですか!??」(深刻) 検査の人「いえ、まだ老眼ではないですよ。よく見えているだけですからね。」
ということで、一つ度を下げました、コンタクトレンズ。 でも、いたって支障ございません・・・・。
わたしは、牧野つくしにはなれない・・・・・。 わたくしは、道明寺楓ならなれるかもしれない・・・・・。 つくしじゃない・・・・・楓だ・・・・・・・。「つくしさん、分かったわね。っふ。」(楓さんのまねを思わずしてみましたよ・・)
ところで、コンタクトレンズをはめるようになって、かれこれ26年ですが、コンタクトレンズにまつわる夢を何度か見ます。 大体パターンは同じなのですが、目が覚めるといつもほっとします。
<その1> コンタクトが、小皿くらい大きくなっている。 これを、どうやって目玉に入れるの~~~~!?今まで私どうやって入れていたの~~~!?とはめるのに苦労する夢。
<その2> コンタクトが「ぎざぎざ」(ちょうど瓶の栓みたいな感じ)になっている。 「ええ~~こんなぎざぎざ入れたら目が痛いよ~~~!」と怖がっている夢。
<その3> 何か知らないけど、「飴ちゃん」かと思って舐めていたら、実はそれが「コンタクトレンズ」だった!しかも、薄っぺらくなった飴ちゃんだと思っていた「コンタクトレンズ」を「がりっ」とラストに噛んでしまう! 噛んだ後に、「あっちゃ~~~~コンタクトレンズだったよ~~!神様、どうかなかったことにして下さい~~!」とお祈りする夢。
以上3パターンの夢を、この26年間、何度何度も見ています。
余談ですが、実家の母は、日本に初めてコンタクトレンズが上陸した頃に、使用を始めた人です。(花粉症を機に止めましたが) お勤めしている時に、雑誌で「コンタクトレンズ」が日本にやってくる!」という広告記事を読んで、「これは、絶対使おう!」と心に決めたそうです。 でも、まだ不慣れだった母は、よく実家の洗い場で、流しちゃったそうです。 その頃は、横浜の母の実家は、洗面台の排水は、家の横の水路に流れていまして、そこを探して見つけたこともあるそうです。 1度流してからは、水路の排水の部分に「ざる」を母が設置したそうです。 (これは、母の実家では有名な話です。)
それと、もう一つ、母のコンタクトにまつわる武勇伝(?)があります。 母は、駅前の横浜信用金庫(今もあるのか知りません)に務めていたのですが、土曜日は半ドンで、いつも高島屋に行ったそうです。 高島屋には、同級生が務めていて、その子にも会いに行ったそうです。 (私もその人に高島屋で紹介されたことがあります。) 「高島屋の恵美ちゃん」って、呼ばれていたそうです。 (それだけ高島屋を愛していたんです。) あの薔薇の紙袋は、母には、上等な紙袋なのです。 母の中には多くの高島屋神話がございます。
で、高島屋に寄った後に、地下街を歩いていまして~ コンタクトの調子が悪くて、地下の公衆おトイレで、一度コンタクトを洗うことにしました。 その時、するり~~~っと、コンタクトを流してしまったのです。 哀れ、コンタクトは洗面台の排水口の中にするるるるる~~~。
当時、高価なお品だったそうです。 母は、あきらめませんでした。 なんと、地下街の守衛?か、そういう役職の人を捕まえて、コンタクトを流したから、さがしてほしい!と訴えたそうです。 そして、洗面台の排水の臭い止めになっているUの字になっている管を「はずさせた」そうです。 そして、Uの部分にコンタクトがあったそうです。 これも、かなり母の実家では有名な話でした。 「あの子、横浜の地下のトイレの洗面台の排水管を外させたんだもんね、凄いよね。」と母の姉が笑って言います。
でも、そのUの字を、外させたことは、20年後ぐらいに役に立ちました。 実は、私が実家で、うっかりコンタクトを洗面台で、流してしまったのです。 その時母が「ここを外すのよ!」と排水管を外したとき、見事にコンタクトが発見されました。 びっくりしました。 どうして?!と聞いたら、 実はね・・・・と、横浜地下街での武勇伝を教えてくれました。
そういえば、子供のころ、母は、近所の人に電話で「お助け」をよく求められて駆けつけていました。 その電話がかかると決まって母は、 「わかったわ!動かないで待っていてね!」 と、急いで電話を切るとすっ飛んで行きます。 あとで、 何をしていたの?と聞いたら、 「誰々さんが、コンタクト落としちゃったんだって!お母さん、探して来たわ!」 と、とても生き生きしていました。 社宅に住んでいた頃なので、いくら見積もっても、年取っていたとしても、最高38歳の時です。 っち。今の私より若い・・・・。
ちなみに、母にコンタクトレンズの夢って見る?って聞いたら、「見たことないわ~。」とお上品に言っていました。 私はこんな夢をよく見るんだけど。。。というと、 「え~~どうしてなのぉ~~どうしてそんな夢を見るのぉ~~~?」 と、かわいく言います。 私からしてみれば、見ない方が不思議です。
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最終更新日
2008.07.01 14:04:40
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