カテゴリ:病院通い
この本を買おうか、真剣に悩んでいる・・・。 なぜかと言うと、 もしかしたら、再発するかもしれないからです。 (あ、でも今度同じ症状がどこかに出たら、速攻で大きな病院に行きます。問題は、そこに腫瘍専門医がいるか否かです。) もともと、愛読書が「家庭の医学」です。(小学校の頃から) でも、我が家の「家庭の医学」には、軟部腫瘍については、載っていませんでした。 ちなみに、この本の紹介は、 「本ガイドラインは、研修医、一般整形外科医、一般外科医、皮膚科医、形成外科医を対象とし、軟部腫瘍診断に関する必要最低限の知識を概述することを目的として作成された。 」 となっています。 う~~ん。一般家庭には不適切??? ちなみに、市立図書館の蔵書にはありませんでした。 う~~~ん。 あえて買うと、再発する?? う~~~ん。 でも、専門医に見たことがない種類の腫瘍と言われて、気になるぅ~~。 もうすっかり腫瘍オタクです。 30歳の時に、卵巣のう腫を手術しました。 その時に、卵巣にお団子みたいに腫瘍がくっついていて、その中に「髪の毛・歯のようなもの・バターっちっくなもの」と一つの腫瘍の中に3つのお部屋ができていたそうです。 卵巣のう腫は5cmくらいだったみたいです。 その時に、担当医に、内容物ができる卵巣腫瘍の場合、再発率は10%だと言われました。 だから、30歳から、毎年、卵巣の検査を自発的に市立病院でしています。 10年たったから、もういいかな~~~とか思っていた矢先に、 今度は、神経の中の腫瘍・・・ですわ(T△T)
卵巣のう腫の時は、我が家にパソコンが導入されていない時期だったので、図書館や書店で本を読みあさりました。 もちろん、「家庭の医学」にも載っていました。 ・・・と、言う事は、卵巣のう腫の方が、神経内の腫瘍よりも「ポピュラー」なの???? まあ、詳しくは、5日の抜糸の時に聞けるのですが、 退院の時に、再発する「かも」知れない。 と言われました。 卵巣のう腫の時と同じです。 生殺しの「かもしれない」。 ちなみに腫瘍が、どうして発生するのかは、解明されていないようです。 でも、私の持論ですが、 もしかして、本当に、自分は腫瘍を作りやすい遺伝子(遺伝的なものでなくて、自分の中にある細胞遺伝子?)を持っているのかな~~~? です。 一生、腫瘍を作らず、天に召される人もいると思います。 一生、手術もないまま、人生を全うする方もいると思います。 何で、私、2回も腫瘍を作っているんだろう・・・・。 けっ!です。 実家の父は、大きな手術を約4年で3回しました。 それぞれ手術の場所が違うのですが、 一番大きな手術は、約4年で3回の最後の一回でした。 胃癌です。 ずっと「要検査」と人間ドックで出ていたそうです。 でも、2年連続で、全身麻酔の手術を受けていて、全身麻酔から覚めるのって凄く辛くて、いやな気持らしいです。 バリウムで「要検査」が出た時に、 ちらっと手術~?も考えたそうですが、 あれ(全身麻酔)をまたするのかと思うと、嫌だったそうです。 で、「要検査」が3回続いて?次の時は「至急検査」で、病院から呼び出されたそうです。 その時に、「奥さんも連れて来て下さい。」と言われたそうです。 それで、父は、「あ、癌だな」と思ったそうです。 だから、人間ドックを受けた病院に呼ばれたとき、「ここでは手術をしたくない」と母を連れて第一声に父は言ったそうです。 もし、手術を受けるのならば、家の近くの市立病院で手術を受けたい、と、はっきり言ったそうです。 それを聞いて、人間ドックの担当医師は「では、あちらで検査をして、結果を聞いて下さい。」 と、あっさり診察(問診)は終わったそうです。 「至急検査」の「至急」はなんだったのでしょうか? 何も結果を伝えず、紹介状をもらって市立病院に行きました。 父は、もう自分は癌だと覚悟していたみたいです。 父の父(つまり私の見たことのないお爺ちゃん)は、胃癌で、父が29歳の時になくなっていました。
紹介状を持って、市立病院へ。 検査を一からして、すぐに癌だと医師から告げられました。 手術の予約も、すぐに入れられました。 あっという間でした。 (それこそ、私の今回の手術と同じくらいのスピードで日程が組まれました。)
父は、幸せでした。(あ、今も健在です。) 執刀医が素晴らしい先生でした。 あの先生に、父は助けられました。 術後の、当面の目標は、3年生存でした。 あの時10か月だった息子も、今は中2です。
ちなみに、卵巣のう腫ができたとき、私、少し、いえ、かなり腐りました。 妊娠中の手術だったからです。 「お父さんが、癌だったから、私もこんなのになったんだ。」 と言ってしまいました。 酷い娘です。 後で、母から電話がありました。 「あなたが帰った後、お父さんがしょげていたわよ。あなたの言葉でお父さんが傷ついていたわよ。」
あの時から、父に対して、申し訳なかったとずっと思っています。 でも「ごめんなさい」は言えないままです。
この前、術前の、入院誓約書に、世帯を別にする人の署名が必要で、父に書いてもらいました。 2度目の手術の私に向って、いつもぶっきらぼうな父が言いました。 「これはね、もう、運命だから、仕方ないよ。」 自分の毒気が抜けた気がした。 そういう「運命」なんだ、って思ったら、従容と臨める気持ちになった。 昭和9年の父が、生きてきて、出た言葉だと思うと、何だかジンと来た。 父は、7人兄弟のうち、4人が癌を患った。 一番近くの兄も、癌で亡くした。 父を子供の頃一番かわいがってくれた姉は、スキルス性胃癌だった。 癌で亡くした兄も姉も、新幹線に乗って、父の術後にお見舞いに来てくれた。 その二人が、そののち癌で亡くなった。 伯母は、「あの子(父)は、すぐに手術をしてもらったのに、私はどうしてしないのかしらね~。」といつも言っていたらしいです。(告知されていませんでした)
身内を何人も見送った父が「運命」として、受け止めることは、 以前角が多くて、本当に堅物で、厳しくて、怖かった父から出る言葉とは思えないくらいでした。 それくらい人生は人間に深みを与えるのでしょう。
今回の腫瘍に関して、私はあっけらかんと話しました。 父もあっけらかんと聞いていました。 一番嫌がったのは、実家の母です。 入院前に、父が言っていました。 「お母さんは、ししぃーが癌じゃないのかって嫌がっている。」 大丈夫、先生から「御主人といっしょに来て下さい」って言われていないから。
私は、父と気性が似ています。(自分にも家族にも厳しい点とか、根性あるとことか・・) 悲しいことに、顔も似ています。 趣向も似ています。(タバコはすいませんが・・・) 似ているから、母は心配みたいです。
でも、主人が言っていました。 「君、まだまだ死ねないでしょ?だって、小ししぃーがいるんだよ。死ぬに死ねないよね。」 ↑冗談です。 冗談だけど、何だかちょっと本気な我が家です。 ちょっと、笑えないシリアス・コメディーです。 万が一死んでしまう事があったとしても、背後霊となって、一生娘を守りたいです。 たとえ、江原さんが、お祓いしても、絶対に、しがみついて離れません。 それぐらい、長生きしたいんです。 でも、本当は、あんまり長生きしたくないんです。 だけど、やっぱり、長生きしたいんです。
なんじゃいな~?な日記ですね。 すみませ~ん。
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最終更新日
2008.08.02 22:38:53
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