カテゴリ:病院通い
今日は、午前中に市立病院に抜糸をしてもらうのと腫瘍の病理検査結果を聞きに行く予約の日でした。 今日も凄く暑かった。
退院以来のあっちゃん先生。 これで、あっちゃん先生に会えるのは、最後なのかな? 腕がいいだけに、名残惜しい。 ちゃんと術後の痛みもなかったお礼も言わないとな~と。
診察の順番が来た。 おかげさまで、術後の部分は痛くありません。 足のしびれは、ちょっと和らぎますが、足の甲に輪ゴムで縛られている痛みはあります。 (感覚神経を切開して、中の腫瘍を取っているので、これは仕方ないことです。)
と、退院後の話をしていました、が。 話しながら、すすす~っとあっちゃん先生は抜糸もお見事に痛くもなんともなく終わり。 透明コーティングになるようなお薬を抜糸後に塗って下さった。
が。 先生は、ちょっと、続きのある様子だった。 これで終わりではなかった。
手術中に、私の腫瘍を見たことがない、と言われていたので、ヘンテコみょうちきりんな腫瘍ポケモンの自分の病理検査結果の話だな~と思った。 (ちなみに、一人で行ったの。私の前にお父さんとお母さんといっしょに来ている男性もいました。30代前半?????)
まず、開口一番。 「ししぃーさん、また手術しないといけないかもしれません。」
・・・・・・・・・・。 ちょっと凹む。
私の腫瘍は、凄く珍しい腫瘍だそうです。 「顆粒細胞腫」 とうい病気だそうです。 腫瘍=病気って、改めて認識しました。
(私・・・ずっと病気だったんだ・・・。 平成19年1月から自覚症状あって、ずっと病気だったんだ。)
ちょっと、幽体離脱状態。 そう、今日はあっちゃん先生の顔と、システム化されたパソコン画面しか見ていなかった。 看護士さんは2人控えていたようだけど、顔を全く見る余裕さえなかった。
手術で神経内の見える腫瘍はすべて先生が除去して下さいましたが、 見える物を取っただけでは、ダメなんだそうです。 これは、病理検査で分かったそうです。 腫瘍のへばりついていた神経そのものを切除しないと、再発を繰り返すみたいです。 今度、同じ部分にできるようなら、神経ごと切除することになる・・・というか、 いつできるかわからないので、今後も要経過観察ということです。
「顔つきは普通なんだけどね~。」 とあっちゃん先生。 ちょっと、頭真っ白だったので、先生の言う意味が分からない。 「え?私の顔つきがふつうなんですか?」 (凄く真面目に聞き返した。あんなとき冗談じゃないのに、冗談みたいなことを言ってしまった。) 「腫瘍の顔つきだよ。」 あ・・・そうだった、今腫瘍の話をしているんだった。
私のなっていた「顆粒細胞腫」という病気は、とても珍しい病気だそうです。 再発率は5%だそうです。 ただ、取れた腫瘍の病理検査結果が、微妙らしい。 腫瘍は、陽性なんだけど、陽性と一応いえるのだけど、 断言しきれない様子でした。 (安心できないよ、って様子でした。) 病理検査によると、 KI67(細胞活性化を調べるマーカー?)の数値が2%だったそうです。 この数値が、5%になると、癌化するそうです。 だから、KI67で、活性化が見られたことが、ちょっと困ったというところです。
今日で、「ありがとうございました。さようなら。」とはなりませんでした。 (半分嬉しい?半分複雑。)
先生のデスクには、9月からの異動先の病院の案内のHPのコピーの綴りが置かれていました。
「ししぃーさん、●●市まで、頑張って来てくれるかな!?」 隣の県です。 ちょっと遠いです。 隣の県だけど、県境のすぐ隣の市じゃなかった。 言ったことないです公共交通機関で。 多分 <バス→電車→電車→バス>で2時間くらい?となりそうです。 「ずっと経過観察をして行かせて欲しいんだけど。 もし、また膨れてくることがあったら、すぐに手術して、今度は神経も切らせてもらわないといけないよ。 今度手術をしたら、足のしびれの後遺症は消えないから。 向こうの病院でも、検査をして行くと思うから。」 と力強く言われた。
この市には(いや、多分この県上半分には)腫瘍専門医が、もういない。 あっちゃん先生は腕がいい。 こんなところにいるよりも、先生をもっと必要としている多くの患者さんを救う使命があるのだろう。 あっちゃん先生の行き先の病院は、各科があるが、整形外科は「骨軟部腫瘍」の専門のみのようだ。 きっと、確実な検査や道が開けると思う。 進め、進むしかない。 そう思った。 さ来週、当病院で、あっちゃん先生の最後の診察を受ける。 そして、9月になったら、あっちゃん先生の行き先の病院に定期的にかようことになるようだ。 まあ、たぶん多くても1か月に1回だと思う。 慣れればいいんだ。 通うのに早く慣れよう。
ちなみに、名前でビビるかもしれないが、一般の病気患者でも受け付けているとHPに書いてあった。 でもビビる。 あっちゃん先生の異動先は、「がんセンター」という名前が付いていた。 やっぱり予想通りだった。 あれだけの腕だったら、引き抜かれるのでは?とあっちゃんの担当患者が言っていた。
癌にならないために、手術をいつかするのだろう。 それは、いつだか分らない。 でも、「この日にしてほしい」という希望も、設定もきっとできない。
神経内科は、腫瘍そのものが原因だったから、もう通院の必要はないと言われた。 一応、今日、整形のあとに受診だったので、最後の挨拶に寄った。 待ち時間、泣けてきた。 私は、今まで何をしていたんだろう? あっちゃん先生がこの病院にいる間に、もう一度ここで、手術が出来たらどんなに良かっただろう。 でも、6月に、あっちゃん先生に出会えていなかったら、私はずっとこのままだったのかもしれない。 とても複雑な気持ちだった。 正直、自覚症状が始まってから、遠回りした1年8か月が、泣けてきた。
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最終更新日
2008.08.06 08:38:31
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