テーマ:☆主婦の生活☆(1566)
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「犯罪報道の犯罪」(浅野健一著)って本があるんですけど、昨今の報道を見ていると、 この標題が頭にちらつく。
子供を初めて産んだとき、息子が生まれたときは、 朝の6時半過ぎだった。 最初に思ったのは、 「人間産んじゃった!」 だった。 私が、新しい人間をこの世に出しちゃった!である。 いまどきの風潮?に合わないかもしれないけど、 あの瞬間、 私が主役の人生は終わったな。 と思った。 私は、これからわき役に回って、この人間をまっとうに育てなければならない、と思った。 陣痛は本当に痛くて苦しくて、 こんなに苦しい思いして出産するんだから、 専業主婦でもごめんして! とも思いました。(働いている世の中のお母様方ごめんなさい。)
子供を育ててながら(今も育てていますが) ずっと変わらず心の中に一本「注意すべし」と立てている理念があって、 それは、 犯罪者を作らないこと、だった。 社会的に迷惑をかけないような人間を育てなくては、だった。
子育てをしていると、自分の両親が、どんなふうに自分を育ててくれたのだろうか?と思いをはせたり、 ああ、そういえばこんなことをしてもらったり、こんなことを言われたり、こんな躾をうけていたな・・・と、 その年齢折々に両親のその頃を想う。
ああ、いやだ! と思うこともある。
でも、私は、幸いに、両親と同じ市内に住んでいる。
両親は、転勤族で当地に来たので、全く親戚もいなくて、 頼れる?のは、同社宅ないの人だけだったと思う。
下の子が生まれて、在宅児が二人のころは、私もヘロヘロだった。 片方が病気になれば、病院に行かねばならない。 元気な方を背負って連れて行けば、次は元気だったほうが病院で病気をもらって帰ってくる。 自分自身の美容院なんて、主人が休みの日に狙い撃ちで行くしかなかった。 「もっと頼って頂戴、いつでも行ってあげられるんだから。」 と、実家の母は言ってくれた。 確かに頼ったけど、 母の子育てを考えると、おんぶにだっこで必死に私と兄を育てくれたことを思うと、私もそれなりに自力でできるだけ頑張ろうって思った。(しかし、やっぱり在宅児二人の時は助けを求めました・・・。) 自動車も運転できない横浜の高島屋大好きだったお嬢さんが、こんな片田舎で、しかも、山の上の社宅で、よく子育てしていたと思う。 社宅だったから、兄が粗相をしたら陰口もたたかれたらしい。 ふさぎこんでいた時期もあったらしいけど、私には感じられなかった。 小学4年生ぐらいの時に、社宅から出て、一戸建てに引っ越された人のお宅に母と遊びに行ったときに、 「あのころと比べて元気になって良かったわ。」 と、母を見てそこのおばさんが言ったのを聞いたとき、 え? お母さんって、元気じゃないことがあったの?と、ある意味ショックだった。
子育てをしながら、自分の時はこうだったな、こんなことをしてもらったな、 ああ大変だったんだな・・・・と、自分に母を重ねて考える。 その時代を生きている真っ最中のころは何も考えなかった。 たとえば、 今は、高校生の息子を育てながら、あのころの母を想う。
母と言う存在が私の中で支柱になっている。 あそこまではできない、ぐうたらな私だけど、 立派なモデリングとして存在する。
たとえば、自分の中で、お手本的な存在がなかったら、どうなのだろう? ここぞという乗り越えねばならない時に、 やーめた、 となるか、 私も頑張ってみよう、 と、なるか。 自分に注いでもらったもの(愛情)の記憶がなければ、あるいは希薄すぎたら、 自分が注ぐべき対象に「注ぐ」ということを知らない、気づかない、わからない、のではないだろうか?
去年だったか、子供の5年生の理科の授業で、生命の単元があった。 植物が種子を作ること、 メダカが卵を産むこと、 ヒトが子供を産むこと、 それは、自分たちの子孫を残すこと、命をつなげていくことである。 これが、あの単元のもう一つの大切なメッセージなんだと、子供の勉強を見ながら思った。
ごめんなさい、こんな言葉、いつも頭に浮かびます。
ネグレストはネグレストを産む。
だから、気をつけているんです、私も。 駄目駄目ですけどね。
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最終更新日
2010.08.03 13:43:20
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