『魔術と呼ばれた組織プレー~ラグビー・大西鐵之祐の伝説~』2
再度、見直しました。まず前回の訂正。E=mc²ではなくて、K=(2分の1)mv²運動エネルギー=(2分の1)質量×速度×速度でした(^^;早稲田が2部落ちした夏合宿で、体格で劣るために相手の意表を衝いたプレーが必要だった。大西監督は自分の考えを学生に伝えるのではなく、学生達に新しいサインプレーを考え出させた。これが監督に「このサインプレーをやれ」と言われていたら、その後世界に伝わった「カンペイ」はできたであろうか?その後の2部からの優勝はあったであろうか?50歳で全日本の監督に就任。スター選手の寄せ集めで全然勝てなかった代表チーム。一つのチームにまとめるには「統一された明確な戦術」が不可欠として考え出されたのが「展開・接近・連続」で、そこにはコンタクトは無い。「相手がへばるまで攻め続けて、へばったところを攻めればよい。」地味でもチームのために身体を張れる選手を呼んだ。「何でも器用にできる必要は無い。自分の持ち味に磨きをかけろ。」NZ遠征で4連敗後に、「攻撃は取れている。敗因はそれ以上取られたから。」そこで普通ならディフェンス重視の練習・メンバー交替。ところが、攻め勝つためにウイングの萬谷選手をフルバックに。その萬谷選手が大活躍、オールブラックス・ジュニアに勝利。→限られた時間・メンバーでは短所をカバーする余裕なんか無い。長所を伸ばせば短所は隠れる。最後にもう一度。3-6で負けたイングランド戦後のインタビューで、「これ以上はやれません。全てを出し尽くしました。」「指導とは教えることじゃない。選手と真剣勝負することだ。」☆当時のジャパンのセンターの横井選手:165cmフルバックの萬谷選手:168cmイングランドの選手達のサイズは今とあまり変わらない・・