カテゴリ:ネルル・ユメル
陣痛を感じて病院へ行ったのは、11月30日の朝6時。 「経産婦だから、すぐに生まれるね。」私も周りもそう思った。 しかし・・・ 3分おきの陣痛に苦しみながら、1晩を過し、 1分おきの陣痛に「もう、限界だわ。」とくじけそうになりながら、2晩めを過した。 分娩室へ移動し、ようやく産まれたのが、 12月2日のお昼頃。
分娩室から病室に向かうストレッチャーに横たわり、 大きな窓から眩しい陽射しを感じた。 それが後に、彼の名前の由来となった。
安堵と疲れで、いつの間にか眠ってしまったが、 「お母さん、母乳の時間ですよ。」と看護師さんに起こされて、 ベッドの横を見ると、ずっと前からそこにいたような、 穏やかな顔をした息子がいた。
その顔を見た途端に、痛みも苦しみも全てが消えた。 ・・・・が、赤ん坊というものは、中々勝手な生き物で、 こちらの感情など全くお構いなしで、寝かせてくれない。
長男の時は何もかも初めてで、オロオロしていたが、 よくしたもので、2番目ともなると、泣き声で要求がわかる。 ある程度は、泣かせておいても平気であった。
成長の過程で、ケガや病気も耐えなかった息子たち。 そのたびに、「代わってあげたい。」と思う気持ちが強くなる。 それは、今も変わらない。
陣痛で苦しいのは、母親だけではなく、 あの狭い産道を必死に出て来ようとする赤ん坊も、激痛と戦っているのだと聞いた。 そう聞けば、なおも愛おしく、生の重みもひとしおである。
最近は、物忘れ(覚える気が無いともいわれたが)が多く、 冷蔵庫の前で立ち止まり、もう1度まな板へ戻り思い出す・・・みたいな事が多々ある。
TVを見ていても、街で人に会っても、 顔はわかるが、名前が思い出せないこともあり、 適当な会釈や、ボロの出ない会話でその場を立ち去る事もある。
なのに・・・ こんなに鮮明に思い出す。 まるで、ついさっきの出来事のように感じる。 22年前の今日、次男が産まれた。
長く入院していた母が、今日、退院。
お見舞いに行った時、窓際のベッドに腰掛けて外を見ていた小さな背中。
「すぐそこに道路が見えるのに、行くことが出来ないってせつないね。」 「掃除して買い物行って料理して、あたり前の生活って幸せだったんだね。」
「姉ちゃん、あんた・・・。こんな気持ちで何年も過しているんだね。」母の声がつまる。
現実を受け入れ丁寧に生きようと決めるまで、長い々時間がかかった。 今もどうしようもなく、イライラするし、泣きたくなるし、全てが嫌になる時もあるよ。
丁寧に生きていれば、しぜんとそんな風に生きている人たちと巡り会える。 私よりも辛い思いの中にあって、 笑顔を絶やさない温かな感情を持つ人たちと知り合える。
縫い物が出来るようになって、幸せな時間が持てた。 「これが最後のお仕立てかも。」と思いながら縫う癖は抜けないが、 そう思えば、一針々丁寧に縫う時間さえが、愛おしく思えるのである。
そして、この洋服を手にして下さった方が喜んでくれたなら、 「まだ、やれるぞ!」と前向きになれるのである。
愛しき人たち、愛しき物たち・・・ ありがとうございます。
いろいろあって、書けない自分がいて・・・ 更新のリクエストを多々頂きながら、放置してすみません。 本当に、ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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