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おととい山が終わった。
昨日は1日なんとなくぼんやりしていて、しばらく弾いていなかったエチュードをあまり集中もせずに何度も弾いていた。追われるように次々やらなくてはいけない曲があったのが、来週の金曜までなくなったのでちょっと力が抜けて解放された。4日間、エチュードも音階も左手の練習もしなかったけれど、4日間しなかっただけで左手の指の動きが悪くなっていた。チェロを弾かなかったわけではない、そのエチュードをしなかっただけなのに。このトレーニングの進歩は遅遅として進まないのに後退はいとも簡単に起こる。人より練習していても人並みに弾けない悲しさは本当に耐えがたいけど、まあ仕方ない。 7/1の音夢鈴さんとの音合わせは素敵な時間だった。初めてだったので戸惑いもあって私はどのように弾いていたかあまり思いだせないけれど、曲に対するアプローチが深くて、本当にその姿勢に感銘を受けた。自然に音夢鈴さんでないとできないことをされていて、それがずっと今も余韻のように私の体に残っている。私はもっと曲を自分の中に入れてそしてそれを出せるようになりたいと思った。音夢鈴さんをはじめ、この私のこころもとないブログによって数は少ないけれどとても素敵な心からのお友達ができていることに本当に感謝する。 そのあとの7/3にレッスンに行って、そのあと7/6 - 7でお泊まりをしてアンサンブルをしてきた。これがあらかじめ8曲あって、レッスンの後に2日間最後に集中してできるだけ準備する予定だったけど、不意に夜にお宿でチェロ2重奏やソロを出しものにミニコンサートをすると言われ、しかもほとんど忘れているカバレフスキをと言われてその練習をしたりして(結局予想通り出し物で弾かなかった)ぐちゃぐちゃになった。アンサンブルの人たちは皆さんとても上手でとても刺激的だった。私はまだまだアンサンブルのやり方がよく分かっていない。あわててしまったり、もたもたしてしまったり。難しいところは一人で弾いて弾けるようにしても合わせるときにはボロボロ。出かける前にとりあえず準備したことを全部使って楽しむこと、そして一緒に弾いてくださる人にも楽しんでもらえるようにするという目標を思い描いたけれど、やはりそこまでの気持ちの余裕は全体的にはなかった。目標高すぎ。自分は多少楽しんでも他の人たちを楽しませるような領域には到達していなかった。 個人的には2回とてもぞくぞくする時間があった。最初にやったボッケリーニの5重奏のときと、ベートーベンの弦楽三重奏セレナーデのとき。なんだか気持が高まって泣けてくる気がした。ただ今まではピアノの人と合わせているときなどそういう時には相手もそう感じている本当に特別な時間なのだと思っていたけれども、4人もいた場合どうなのだろう。私は自分勝手に盛り上がったり、また勝手に一人だけ冷めていたり、人の弾いていることに無関心だったり、あまり役割を分かっていない人なのではないかという気もした。そのコンプレックスがむくむくと頭を持ち上げてくる。 こういう室内楽をどれだけできるようになれるかなあと思った。特に同じメンバーで同じ曲をずっと練習するという形式でないのでなかなかすぐに対応できない。立ち上がりが遅いし不器用なのでそれが難しい。どういうふうに自分を対応させていくべきなのかと思った。初見や譜面を見ながら弾いていても音楽を感じ取りながら進めることができない。どんな簡単でも譜面に追われてしまう。そこらへんができるようにならないとこの先の進歩はないのだろうなあと思った。その努力をすべきなのか、暗譜人間に徹してしまうのかが帰ってきてからちょっと戸惑っている。 私は「一緒に弾く人にとってありがたい存在になる」ことができたらいいなあと思っているけれどまだまだほど遠いし、そのためには私は何をすべきかその手立てもあまり見えていない。とりあえず、今度の別のアンサンブルのときにハイドンのそんなに難しくない曲などをしっかり人のパートも全部覚えてしまうくらい準備してみようかなあと思った。そうしたときにどんなふうに自分のアンサンブルでのアプローチが違ってくるか実験してみたい。 山は終わったけど、山を越えて何か得たというような感じ=達成感?はない。できる限りのことはやってみたつもりだけれど。 いつもそんなだけど、続けるしかない。 今日は弓の毛を替えた。新しい出発。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.07.10 00:00:14
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