|
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日レッスンが終わって、ちょっと今日は気が抜けた。まあ気を抜いている場合じゃないかもしれないけど、気を抜いてあげる時間は必要ということで。
練習しているときに、ふとバッハを弾き始めた。なんかちょっと音が変わったかなあと思う時に練習の途中でいきなりバッハを弾き始めることは結構多い。だいたい1番のプレリュード、アルマンド、サラバンド、2番のプレリュード、3番のプレリュードの途中まで、そして6番のプレリュード、アルマンド、サラバンドその中のどれかになる。これらは楽譜を見ないでも全部でないときもあるけれど弾けるので。今日気がついたけど、子供のころのピアノは今でも弾けそうなほど暗譜が定着しているものが多かったけど、チェロはなぜかバッハしか残っていないかもしれない。ほかの曲は弾いているときは覚えていても弾かなくなるときれいさっぱり忘れる。なぜかバッハは「祇園精舎の鐘の声、、」みたいな感じで次々と言葉が続いていくように時間がたってもけっこう覚えている。曲というより、なんだか文章を暗誦するような感じで唱える感覚。 そのバッハの中でも6番はちょっと避けていた。最後に頑張った後にそれなりに私は傷ついたし、しばらく触るのが怖かった。でも今日はプレリュードを弾き始めて、もちろんよたよただけど全部思い出して最後まで弾いた。結構覚えているものだ。それから椅子に座ってしばらく考えてしまった。この曲はなんなんだろう。 私はこの曲でたぶん2つの大きなイベントを体験した。その2つとも苦しかった。私の実力がこの曲にまだまだ届いていないということはもちろんわかった上でもそこまでと思うほど厳しい仕打ちだった。それでも私はこの曲を嫌いにならない。それよりむしろまだ特別な光を放って魅了する。たとえばよくみんなドボルザークのコンチェルトが特別な曲のようだけど、6番にしろドボルザークにしろ私の身の丈にあったものではないことは今は棚にあげて、私にはそれほどでもなかった。もちろん魅力的な曲だけどほかの曲と比べて特別ではない。でもこの6番は特別だと思う。今日も弾きながら初めてこの曲をやり始めた時のワクワク感が今もまだ色あせていないことに驚いた。そこには、私に「やっぱり音楽にあるのだ」と信じてしまわせる何かがあるように感じるのだ。今度この曲にまた取り組むことはあるのか。それはいつなのだろう。そのときに対するワクワク感まで感じてしまう。 それで椅子に座ってしばらくじっとしていた。なんで音楽にあるのだと思うのだろうと。でもやっぱり今日もそれ以上先は見えなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|