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自分にその実力がないから負け惜しみを言っているということもあるけれど、プロの音楽家という職業にそんなに強い憧れを感じない。そのあとには引けないところで向き合うという環境にはあこがれるけど。
私が一番最初に言った外国はバリだった。パリ(Paris)じゃなくてBALI。ちょうど坂本龍一がガムラン音楽とか言っているときで、いっしょに行った友達はそういうことには興味なかったけど、私はひそかにその方面に興味があった。バリの人は神様とともに生きている。朝、神様へのお花で作ったお供えを燃やすのだったか、道にその燃えカスが残っている。お昼もそんなに働かないみたい。よく昼寝していた。土地が豊かだからそんなにあくせく働かなくてもよい。観光の仕事をしている人以外は観光客にもあまり興味はない。仕事が終わったら、夜は夜通し神様のために奏で踊る。すごい体力だ。ガムランの鉄琴みたいなのをたたいている人は、あっちこっちよそ見しながら複雑な音の洪水の中に平気でいた。音楽をする職業というのではなく、普通に生活している人たちが夜集まって、音楽をして神様と交信するのだ。そんな音楽の在り方が本来のものだとそのとき思った。 誰だか忘れたけどかなり有名なジャズミュージシャンは昼間は工場で働いていて、夜にクラブで演奏をしていて、かなり有名になっても工場で働いていたとか聞いて、かっこいいなあと思った。 今度のボランティア演奏に参加して、すごく幸せだったのは、単純に、楽器を弾きたい人が集まって練習をして、ある場所に行って演奏をして、それを何の義理もなくただ聴きに来てくれる人がいて、そこで聴きに来てくれた人たちが私たちの演奏に合わせて一緒に歌ってくれたこと。私、本当にあるべきと思っていた形で音楽ができているじゃんということに気がついてすごくうれしかった。北国の春、恐るべし。「しらかばーーー」と大きな声で歌い出してくれた下町のおじさん、おばさんを前にして、北国の春というこの曲、ここまで生きてこられてこの歌を大声で歌っているおじさんおばさんに深い敬意を感じた。何かをちゃんと返さなくてはいけないと思った。何の指でどの音程をとるとか、ダルセーニョでどこに戻るんだ?とか、そういうところを乗り越えたところで弾かないと失礼だと直感的に思った。結果どういうことになっていたか?間違えが多くなったのは確かだけど、間違えているか間違えていないかはだれも気にしていないことは明らかだった。この人たちにほんとに受け止めてもらうにはどうしたらいいのか?寅さんの山田洋次監督が言っていたことなど思い出した。私レベルでは別に何ができるわけでもなく、やっぱり私の今の結論は今までと同じかなと思う。よく練習して自動でできるようにしておいて、その場ではできるだけ心を広げて音楽に集中すること。 本番も終っているのに昨日の朝まで冬のソナタが頭の右上で鳴っていたけれど、実はあんなに練習した冬のソナタは弾かなかった。ちょっと残念だけど、必死にやっただけにまあよかったと思う。いつもの練習とは違って、チェロでどんな感じにそういう節回しを弾けるだろうかとやってみたり、チェロの別の可能性もあるなあと思ったりまあ楽しかった。 それはさておき、ほんとに貴重な体験ができてうれしかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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