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クリントイーストウッドの硫黄島からの手紙をテレビで見た。
正確に言うと、テレビとビデオで見た。後半からみだして、2-3日して最初から1時間を見た。 そういう見かたをしたのと、画面が暗くてみんな同じようなものを着ていて顔の違いがよくわからないのと、せりふ(日本語)がよく聞き取れないのとで、なんだか理解できていない部分もある。クリントイーストウッドは日本語がわからないから、台詞をはっきり言ってなくても役者さんに注意しなかったのだと思う。そしたらほかの周りの日本人が注意すべきだと思うけど。 理解できていない筋があるにもかかわらず、でも後半を見た翌日にこの映画のことを思った。前半を見てもやっぱり残った。 「体に残る映画」久しぶりだった。だいたい映画館で見ると体に残りやすいのだけど、ビデオとかテレビだといい作品でもすぐに忘れちゃう。なぜだか映画館で見るとちゃんとどこか体に焼きつけられるものだ。 なぜ、硫黄島からの手紙が残ったのかがまだわからない。気になっている。別に戦争の悲惨さを改めて認識したとかそういうことではないと思う。 映画を見たというそういう感触が久しぶりに感じられているのだと思う。 でも戦争のことを考えているのも確かかもしれない。戦争が日常であるそういう空気がちゃんと描けている戦争映画で、それが気になる原因なのかもしれない。何が異常(悲惨)かということは限定できない。今の日常もかなり異常なことがいっぱいある。食べても太らないダイエット薬とか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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