戦争と平和
飢えた子を前にして嘔吐は無力だと言ってサルトルは社会運動に入っていった。これを聞いたのは学生の頃。なんか私にはしっくり来なかった。私は仏文科にいながら『嘔吐』というものがあることは知っているけど、読んだことはなかった。だから何の権利もないが、やはり今でもそっちに行ってしまうのはどうかと思う。
中東の戦争の現実をテレビで知っていながら、人どころか自分さえも救えそうにない何の役にも立たないチェロのことをあーでもないこうでもないと言って私は贅沢だ。世の中には今この時の命もわからない人がたくさんいる。私も戦場に行って彼らを助けるべきか。逃げているのかもしれないが、やはりそうは思わない。誤解を恐れずいうならば、戦争状態の方が楽とも言える。平和を目指せばよいので。平和で豊かで健康な場合は、何を目指せばよいのか?話が複雑になる。そして日々の暮らしは個人個人の責任になる。社会のせいではない。この平和な状況でどのようにしたら凛とした生き方ができるのかという課題に取り組むのも一つの試練と考えることはできないか。