カテゴリ:癒しのプロセス
体からの最後通告が来てから3週間。
スローダウンし始めるまで1週間かかり 他の人でもできるパソコン仕事は 人にお願いしようと振り分けるのにもう1週間 体に負担がかかっているのはパソコン仕事だけだから (というか電磁波かな~?) サロンのお仕事は大丈夫~と そのままのペースで11月12月の予定も組んで でもそれから瞑想講座で伝える講義内容が ひとつひとつ自分の耳に痛い話として響き アーユルヴェーダ体験カフェや 瞑想カフェでお話ししていても 止まれのサインを見て見ないふりをして 進み続けている自分が浮き彫りになってきて やっと10月末に「一時停止しよう」 と決心することができました。 まぁ11月のサロンの仕事をお休みしようと決めたのですが <11/4(祝)の「アーユルヴェーダ体験カフェ」のみ開催です☆> 決めるまでの間に 「止まろう」「動かないようにしよう」 と考えるだけでも苦痛で これだけ体中が痛くても苦痛では無いのに(ただ痛いだけ) 止まったり、動かないようにすることが これほど苦痛に感じる 自分の特性に気がついて ふとサンディエゴのチョプラセンターに行っていたときに チョプラさんのお話で 「私たちはHuman-beingなのに いつの間にかHuman-doing になってしまっている」 というフレーズを思い出し まさに私は「やっていること」=「自分」 に 同一化してしまっているんだな… 何もしていない自分、ただ存在しているだけの自分を 感じて、つながる時間が必要… 「そうだ一カ月間、瞑想三昧のおうちリトリートをしよう」 …ってまた何かをしようとしているし… 何もしない瞑想をするのも 何かをしていることになるかしら?? ま、仕事をしているよりいいでしょう 朝夕30分ずつの原初音(マントラの)瞑想に加えて 8年前に教わってもほとんどやっていなかった スートラの時間をたくさんとろう 意外にすごく気持ちいいセルフマッサージに 呼吸法もたっぷりやって スパの代わりに20分の脚湯を☆ 今年の1月~3月とか 7月~9月と 休まず体を酷使して仕事をしている期間は 瞑想以外のことがおろそかになってしまっていたので 今度こそ、これからはずっと 体を大事に、リラックスした状態で、休み休み。 …と、決めた途端に 新しいお仕事が3つも飛び込んできて というより引き寄せてしまったのですが いや、これは試されているのかも。 と、すかさず自分でなくてもできることは 人にお願いし始めましたが 瞑想や呼吸法の合間に、できるだけ手書きで パソコンを使わずに、スマートフォンは 電源OFFにするか遠くに置いて 体がキツく感じたら休憩して 休み休みやっていこうと思いました。 …考えたら当たり前のことですよね?! 全く休まず働き続ける習性の私。 しかもお勤めしているわけじゃないのに 本当に異常だわ~! とつくづく思いました。 何もしていない自分は無価値 という信念が、よっぽど深いところに 刻みこまれているんでしょうね~~~ かつ、体を酷使して、自分にムチを打つような… 自分でひらめいて、実現したいと思うだけなのに 結果、自虐的。 「ビジョンを実現するのが得意」 だと思っているから 「見て見て~、またこんなビジョンを実現しちゃった~」 という感じなのかな? あ、 何だか少しずつ分かってきたかも…私のしくみ。 「何もしない」のもつまらないし 何かを創造して行きたいけど このセルフイメージ(エゴ)を満たすために やるんじゃなくって 何だか自然発生的に、事が起こって みんなで楽しく流れに乗って進んでいったら できちゃった~みたいな 感じだったらいいんだろうな~… ちょっとおうちリトリート月間で リラックスして、心地良い状態を保てるようになったら シンクロニシティーを辿ってゆくと… と初心に戻って?! ゆらゆら流れて行こうと思います 今回のブログ、初めて紙に下書きして iPhoneの音声入力でテキストにして (今後はこの部分も入力をお願いする?!) アップする作業だけパソコンを使ってみました。 ブログ書くのもやめる~?と思ったけど 私には内省、内観するいい機会みたいです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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