金子みすヾに会いに
日曜日、いろいろ予定を立ててたんですが急遽山口まで。長門市仙崎の金子みすヾ記念館まで行くことになりました。長女が金子みすヾの詩が好きで担任の先生も金子みすヾが好き!春休みに行くって言っちゃったみたいなんです。実は私も金子みすヾの詩は好きでいくつか知ってましたし次女も教科書で習ったっていうんで身近ですから、その本人縁の地を訪れることもいいかなって思ったんです。家族みんな、クルマに乗って出発!ガソリンは貴重ですから燃費走行で走ります。高速道路を美祢で下りて後は下道を日本海側へ向かいます。自然、海の脅威というものは先日の東日本大地震の津波で見せ付けられましたがこうして穏やかな海が一面に見えてくるとやはりそれは綺麗なものです。金子みすヾ記念館は金子みすヾ通りっていう町並みの中にあります。人並みを掻き分けて・・・って感じを想像してたんですがそんな喧騒はなく静かな場所。人はそんなに多くありません。記念館の中に入ってみるとそこは大正、昭和初期の味わい。でも私くらいの年代までにはそんな名残を少しは感じたことがあります。2階に上がって見ると金子みすヾの部屋が再現されてます。そしてそれから本館へ行って展示物を見て絵葉書買ってそこの係りの人としばらくお話して。感じたのはここは展示物を眺めに来るところじゃないんだなってこと。ここは展示された、金子みすずの作品に触れて自分を見つめなおすところなんだな・・ってね。それはここに来ていた人の多くが館内の椅子に座ってじっと目を閉じていたことで確信しました。そのあと金子みすヾ通りに出て、ドコに行こうか嫁さんが思案していると記念館向かいのお店にいらしたボランティアの案内をされてる男性が私達を金子みすヾのお墓まで案内してくれることになりました。途中、町の中の説明、展示の案内をしていただいてお墓のあるお寺へ。そこでも色々説明していただいたんですがそのとき言われた言葉がとても印象的でした。‘金子みすヾはもしかしたら、美化されすぎたのかも知れない’って。それがどういう意味でも私には考えさせられるものでした。【~ こだまでしょうか ~】「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。近頃、テレビのCMでちょっと有名になった詩。なんか優しくて可愛くて・・・・そんな印象の詩。でもなんででしょう・・・・私には悲しい詩に聞こえるんです。それは金子みすヾの生涯を少しだけ読んで、知ってるからかも知れません。詩は読む人によって受け取り方も様々。自由です。娘達もこの場所はお気に入りになったようです。また少ししてこの場所へ来ようと思います。私もここがお気に入りになりました。