11月30日に
嫁さんのお母さんが亡くなりました。
もう10年ほどの入院生活で80歳になってすぐの逝去でした。
入院したのはもともと若年性認知症が出てきたからなんですが
それでもまだ最初はひどくはなかったんです。
でも入院生活が進むにつれ進行していき
体力も衰え、寝たきりになってしまいました。
まだ入院してすぐの頃に私だけで面会に行くと
それは喜んでくれて・・・・見ただけならもう普通なんです、母は。
そうして私が帰るときになると
`じゃぁしょうちゃん、私も帰ろう!’って言うんです。
私が入院を決めたんなら、もうすぐにでも連れて帰りたい・・・。
優しい、そして私のことを一生懸命理解しようとしてくれた母なんです。
でもそんな母に
`お母さん、ダメなんよ、ここに居ることにきめたんやろ?’って
私は言ってしまった・・・いや、何回か言ったんです、10年前にね。
それから後は、実の娘である嫁さんと私が一緒に行くようになって
お母さんはそう言わなくなりました。
ただ、その時から今まで
夜寝る前になると毎晩、その言葉と情景が浮かんできて
お母さん、ごめん、家に帰してやれなくてごめんね、って
もう帰る可能性がなくなってからも謝っていました。
母の気持ち、性格は、義理の母ながらよく知っているんで
頭の中に浮かんでくる母は、そうして謝っている私にいつも
`しょうちゃん、いいんよ、大丈夫!’って優しく言うんです。
だから泣いてましたよ、毎日・・・・。
11月30日は会社の月末の締めがあるんで
それが終わってやれやれ、って会社を帰ろうとしたら
嫁さんから母が危篤との連絡。
嫁さんのお父さんを連れて病院に到着する直前に母は亡くなりました。
病院ではこのご時世人数制限があり、私は病室に入れず
義母に会えたのは斎場でした。
新型コロナのおかげで、実はここ3年ほど
面会も出来なかったので、会ったのは3年ぶりになります。
面影はあるものの、ずいぶん痩せていて・・・・。
でも納棺師・・・送り人・・の方が
丁寧に整えてくださって、最後に口紅をさしてくださると
すごく綺麗な顔になりました。
納棺する前に家族で手足を拭いて、手袋や靴下を履かせるのですが
そこには冷たく、そしてこんなに・・って思うほど細い手足があり
私はその時点でもう大泣きしていました。
葬儀での挨拶も私がしましたが
これももう大泣きで、まぁ大人の男らしくはないですよね~~
でももう、仕方無い。
そばから、やさしい声が聞こえてくるんですから。
泣いちゃいますって。
火葬後の骨拾い。
嫁さんも、他の親族もやめた後も
私は最後まで・・・・小さい骨まで拾いました。
拾うたびに、「お母さんごめん、こんな事でしか恩は返せないんだ・・」
って、心で言いながら。
棺桶の中には、最後まで帰ることのなかった実家と周辺の写真を入れました。
今もあの頃と大して変わって無いこと、見てくれたかな?
娘達の成人式の写真も入れました。
こんなに大きくなってびっくりやろ???
ゆっくりそっちで見てよね!
それから中にはもう一つ。
近頃寒いから、寒くないように足のところに厚手のパジャマと大きめの靴下を入れておきました。
きっとすごく温かいよ、その靴下!!
だってその靴下、オレのなんだから!!
まだそっちに行く気は無いけれど
後何十年かして、またそっちで会えるといいね、お母さん