カテゴリ:旅
26,27日の1泊2日で友人夫妻と日光霧降高原へ出かける途中、大谷石で有名な宇都宮にある大谷観音へ立ち寄りました。
10年位前だったか千葉の鴨川への旅行中、館山市にある33番那古寺に立ち寄り始めてしまった坂東札所めぐりです。33番は結願寺でして最後の所から始めたわけです。 初めの頃は豆に出かけ24箇所まで終わってましたが、その後、気になりつつもサボってしまい久しぶりです。 【大谷観音】 大谷寺は平安時代(810年)弘法大師が開基され、弘法大師が彫ったされる岩彫りの高さ4mの千手観音を本尊とし、阿弥陀三尊、薬師三尊、釈迦三尊が天然岩に彫られ石仏としては日本最古です。 大谷寺は天然の洞窟の中にすっぽりと包まれてます。 【平和観音】 自然の岩壁に彫られた高さ27mの観音さまで、戦没者の慰霊と世界平和を祈念して昭和23年より6年をかけ、総手彫りで製作されたそうです。 観音さまの背中の展望台に立つと紅葉の始まった大谷の町が一望できました 【大谷資料館】 大谷石の採掘の歴史がわかる資料館で、手堀りやS35年頃からの機械堀りになった道具などが展示されてます。 そしてこの資料館の地下には東京ドームが一つすっぽり入ってしまう大きさの地下採石場跡が広がり、最深部で60m、気温は8度から13度です。 大谷石は2千年前火山活動により生まれた緑色凝灰岩で、温かみのある肌合いがあり、軽くて加工しやすいところから様ざまな用途に利用されてます。 奈良時代に寺の石垣、土止め、土台石に使われ初め、明治の頃から採掘が盛んになり大正時代旧帝国ホテルに利用されてから全国に知れわたり、広く建築物に使われるようになったそうです。 手堀時代には1本掘るのに4000回もツルハシを振り、70~150キロもある石を背負子で背負い搬出したそうで、想像もできないくらいの過酷な作業だったのです 石肌には手堀時代のツルハシの跡が残ってて大変さが伝わってきました。 この採掘場からは1,000万本も採掘されたそうです。 採掘場の廃坑は戦時中、中島飛行機の地下軍事工場として使われ戦闘機が作られてたそうです。又低温なので政府米(古々米)の保管庫として使われてたとの事です。 ここは壮観な建造物といった感じで、まるで遺跡のような幻想的な雰囲気でした 現在はコンサート、ファッションショー、美術展などのイベントスペースとして利用されてるそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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