カテゴリ:旅
<2日目>
睡眠を十分取り、家では食べてことがないほどの量の朝食をとり皆絶好調で出発 まずは福井県根上町にある<松井秀喜ベースボールミュージアム>へ ミーハー気分で行ったのですが、松井秀喜の野球に対する熱い思い・姿勢を知り、彼の人間的な大きさに彼の魅力を再発見しました。 「僕には夢がある」 幼くして出会った野球から夢が始まり、夢を求めてメジャーリーグへ。夢を追い続けることの素晴らしさ、努力することの素晴らしさが伝わってくるミュージアムでした。 特に心に残ったのは彼の人間性を的確に詠った阿久悠さんの詩でした。 甲子園での明徳義塾高との2回戦で5打席連続敬遠と言う前代未聞の作戦に、敗れた時の彼の姿勢に対する詩です。 「 ・・・・・・・・・ 一振りも出来ないまま一塁ベースに立ち 瞑想していた男の顔を 惚れ惚れと見る あなたの夏は 今 無念の夏かもしれない 流れの中で自分を見失わない 堂々の人間を証明してみせた 圧倒的に 輝く夏だったのだ 」 ↓ <前田家の城下町金沢・兼六園>へ 兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園 兼六園は、廻遊式の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。 土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、御亭や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。 何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきているけれど、作庭における基本的な思想は一貫して神仙思想です。 大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配してます。 藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。 最初の作庭者、5代藩主・綱紀は、瓢池に蓬莱・方丈・瀛州の三神仙島を築きました。11代冶脩が翠滝・夕顔亭13代藩主・斉泰も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。 こうして代々の藩主によって現在の大庭園が完成されたそうです。 園名は白河楽翁公により、「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼備することから兼六園と命名されたそうです。 北陸に冬の訪れを告げる風物詩となってる唐崎松の雪吊りが11月1日から始まりますが、雪をかぶった庭園は又格別な美しさでしょうね。 ↓ <加賀百万石の城下町・東茶屋街> 文政3年(1820)に茶屋と呼ばれる遊郭を整備したのが始まりで「東廓」などと呼ばれ歓楽街として栄えたそうです。 茶屋様式と言われる建物が軒を連ね江戸時代当時をよく伝えており、文化財にも指定されています。 東茶屋街は金沢百万石の城下町の風情を現在最もとどめている街の1つです。 現在でも8件が営業していて、芸子さんや芸者さんが20名ほどいるそうです。 昔からの景観がなんとも言えない雰囲気があり、ゆったりとした時の流れを感じます。 通りには和風小物・和食器・甘味屋さんなど女性好みの店が並んでます。 ↓ <千里浜なぎさドライブウェイ> 今浜IC近くにあり世界でも珍しい波打ち際を車で走れるドライブコースです。 真っ青な空に8キロ続く海岸線を走り、海辺にはカモメが遊び、爽快な気分でした。 浜辺には浜焼きの店が何軒かありまして、夕飯がもうすぐだと言うのに、香ばしい臭いに誘われて、イカ、ハマグリ、サザエの浜焼きを食べ皆大満足 主人の実家は横浜ですが、高校の頃までは横須賀に住んでいたので、兄弟皆大の魚好きでして我慢は出来ないのです。 ↓ この日最後の観光七尾市にある気多神社でお参りをし七尾湾に面したお宿「のと楽」へ宿泊 36年ぶりに訪れた金沢の町は城下町の風情が今も残り、伝統工芸の金沢漆器・九谷焼・金沢箔・加賀友禅など日本の文化が美しく息づいていました。 最終日は白米千枚田、輪島の朝市、能登・輪島のお祭り館「キリコ館」の観光です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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