カテゴリ:心の旅
私の実家が真言宗でして、かねてから総本山の高野山へ参拝したいと思ってましたが、先日友人と二人で「世界遺産高野山ウォーキング」というツアーに参加し行ってきました。
高野山は海抜9百mの高峰上にあり、八つの峰々に囲まれまるで蓮の花のような盆地上の平地にあります。 弘法大師は仏は一つとの考えで、高野山は宗派にとらわれず、あらゆる宗派の人々の心の憩い、魂の安息所として今日の一大仏都となったそうです。 816年空海(弘法大師)は嵯峨天皇より高野山開創の勅許を受け高野山に上り、20年修行しした後、835年人々を救済し続けるとし、62歳で奥の院に入定し即身成仏となりました。 8時に宿坊を出発し「弘法大師の御廟」奥の院へ 千古の老杉の立ち並ぶ参道は身の引き締まるほどの寒さで、朝の清々しい空気を吸いながら往復80分のウォーキング ガイドさんは説明上手で面白おかしく話してくれ、高野山や弘法大師の教えがすこ~し理解できました 老杉の茂る奥の院には20万基を越える、あらゆる時代、あらゆる階層の人々の「亡き人の来世の安楽」の祈りを込めた供養塔が立ち並んでいます。 高野山は宗派をとわないので、弘法大師のもとで眠りたいと皇室、公家、諸大名や各家の墓が参道沿いに多数並んでます。 家康を始め秀吉、織田信長、明智光秀,前田家、島津家など戦国大名の6割以上の墓があります。 又各企業や有名人の供養塔も多数ありヤクルト、福助、シャープ、シロアリの会社、ロケットを作ってる会社等など総勢20万基以上はあると言われてるそうです。 芸能人の方や有名な方のも沢山ありましたよ。 ちなみに墓地のお値段は座布団1枚分が100万円だそうですよ。 弘法大師様のもとで眠るのもいいかもねぇ~ <山内めぐり> 【女人堂】 明治初期まで女人禁制だった高野山で女性が入れたのは女人堂まででした。 女人堂には、多くの女人参拝者が遥かな大師廟を拝して下山したと言われ、常に昼夜読経の声が絶えなかったと伝えられています。 【徳川家霊台】 寛永9年3代将軍家光が十数年の歳月と巨額の費用をかけ創建された。右が家康霊屋、左が秀忠霊屋 徳川家霊台が創建されたことで、こぞって諸大名が創建したそうですが、家光は諸大名にお金を使わせ力を持たせないようとの考えがあったようですよ。なるほど! 【総本山金剛峯寺】 全国四千ヵ寺の真言宗の総本山。1593年秀吉が亡母追善菩提のため建立した。 【壇上伽藍】 弘法大師は高野山の造営にあたり壇上伽藍から始め密教思想に基づく金堂、大塔、西塔、僧房等の建立に心血を注がれたそうです。 根本大塔 816年開創の頃より着手し大師と真然の2代を費やし887年頃完成した。 真言宗の根本道場として建立された物で大日如来と金剛界の四仏が祀られています。 御影堂 大師が入定後実恵僧都が師の御影を安置したお堂でもっとも尊厳を尊ぶ御堂 金堂 平安時代半ばから一山の総本堂として重要な役割を果たしている。本尊は高村光雲作の薬師如来が泰安されている。 大塔の鐘 大師が発願され第2世真然大徳の代に完成。1日5回、計108の鐘の音が響きます 【慈尊院】女人高野 高野山一山の事務を統括する政所として始まった。 834年「わが子の開いた山をひと目見たい」との一念で高齢をおして讃岐国から空海を訪ねて母の玉依御前がやってきたが、女人禁制としていたため母でさえも入山させることはできず慈尊院に滞在させた。 弘法大師は多忙な公務の合間をぬって月に九度片道6時間かけ母を慰めに通ったといいます。 そこでこの辺りを九度山という地名になったそうです。 慈尊院は大師の母が住んだことから本尊の弥勒仏は子授け、安産、子育てなどの信仰を集めている。空海を高野山に導いたのは狩人が連れた犬とされ安産の象徴が犬とされたようです。 【町石道】 空海が行き来した慈尊院から奥の院へいたる23kの道が高野山への表参道 参拝者が迷わぬよう一町(109m)毎に立てられた町石を、1本ずつ礼拝しながら参拝者は歩を進めて行ったそうです 【宿坊・天徳院】 宿泊した宿坊は前田年常夫人天徳院(千姫妹君)の菩提所として建立されたお寺です。 代々藩主のほか赤穂浅野長矩と四十七義士の位牌も桂昌院により祀られてます。 高野山には117ヵ寺あるが大半が宿坊となってます。 ガイドさんの話によると、修行僧が辛い修行に耐えられないので、大師さまはお酒を飲んでよいと許したそうです。 お陰様で夕飯には美味しくいただきました 朝6時半からありったけの洋服を着こんでお勤めに参加したのですが、とにかく寒かったです~ 亡父母の供養をしていただきました。また弘法大師の御影と主人に身代御守を、そして燃え尽きるとお経の文字が出てくるお線香をお土産に買ってきました。 身代御守は災難にあった時、身代わりにお札が割れてくれるそうですよ 早速実家の仏壇にお供えしてきましたが、念願だった高野山に参拝できほっとした気持ちです 真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものと考え高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じられてます。 現在も奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕してるそうです。 「南無大師遍照金剛」 三唱 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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