カテゴリ:生活
裁判員制度も、あと一年とかいうことで、
ニュースや新聞でも、このところよく取り上げられている。 なりたくないという意見が多数のように思うが どうなんだろう。 いろいろトラブルが生じ、1年で終わる、 と、おいら見てるんだけど。笑 なんで、刑事裁判に限ったのかよく分からない。 むしろ、日常生活の判断基準を審査する民事のほうが 一般人にはふさわしいと思うのだが。 もっとも、裁判の数が多すぎるかもしれないけど。 法があって、うんぬんするのは、専門家の仕事だが それだけで齟齬があってはいけないから 一般人の意見も聞くというのが主旨なんだろうけど。 絶対的な証拠が提示されるのなら、まだしも 話によると、情報開示に不透明な要素もあるようだ。 人が人を裁くというのは大変なことである。 被告の量刑の判断に関わるというより、 判定を下す裁判官の適正を判断すればいいのでは。 裁判所の傍聴席に出向き、判断を下す裁判官を注視し 常識のあるなしを判定すればいいだけのこと ではないのか。 そういう、ろ過器をクリアした裁判官なら、裁判の全てを 委ねてもいいのではないか。 始まってもいない裁判員制度に新をつけたのは そのほうが合理的なように思う、おいらの提案だからである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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