“私の民は二つの悪を行った。
湧水の泉(神様)である私を捨てて、
多くの水溜を、
水をためることのできない、
こわれた水溜を
自分たちのために掘ったのだ。“ (エレミヤ書2:13)
作家有島武郎(1878~1923)は、内村鑑三の影響で一度はイエス・キリストを信じ、内村鑑三から期待されますが、その後背教し、1923年6月に波多野秋子と心中します。内村は、そのニュースに衝撃を受け、有島のたどった精神的軌跡を以下のように描き出しています。まさに上記のエレミヤ記2:13の言葉は、有島の生の根底に流れているものを言い当てているのではないでしょうか。
“有島君には、大きな苦悶があった。この苦悶があったればこそ、彼は自殺したのである。有島君の棄教の結果として、彼の心中深き所に大いなる空虚ができた。彼は、この空虚を満たすべく苦心した。これが彼の苦悶の存せし所、彼の奮闘努力はここにあったと思う。併しながら有島君いかに偉大だといえども、自分の力でこの空虚は満たしえなかった。それどころか、満たそうと努むれば努る程、この空虚が広くなった。彼は種々の手段を試みた。著作を試みた。共産主義を試みた。そして多くの人、特に多くの青年男女の称賛を得て、幾分なりともこの空虚を満たしえたと思うたであろう。しかしながら、彼は人の称賛ぐらいで満足しえられる人ではなかった。彼は社会に名を掲げて、ますます孤独寂寥の人となった。彼は終に人生を憎むに至った。神に降参するの砕けたる心はなかった。故に彼は神に戦いを挑んだ。死をもって彼の絶対的独立を維持せんと欲した。自殺は、有島君が考えてきたことであろう。ただし其の機会がなかったのである。
そしてその機会がついに到来した。一人の若き婦人が彼に彼女の愛を捧げた。著作においても、社会事業においても、空虚な心を満たすことのできなかった有島君は、この婦人の愛に偽り無き光を求めた。これは背教以来、初めて彼に臨んだ光であった。まことに小なる光であったが、長い間暗黒にさまよっていた彼にとっては、最も歓迎すべき光であった。しかして婦人は夫あるみであった。此の光は失うことはできない、さればとてこれをエンジョイすることはできない、故に二人共自ら死に赴いたのである。正直なる有島君としてはなしそうなことである。しかし、彼は大いに誤ったのである。――――「人は自分のために生きずまた死せず。」と有島君の聖書に書いてある。いのちは自分一人のものであると思うは大なる間違いである。」
フランスの哲学者パスカルは、「人間の心の中には、神の形をした空洞がある」と主著『パンセ』で語っています。人の心の空虚さ、むなしさを埋めることのできる唯一のものは、人となられた神、また私たちの罪を負って十字架にかかられ、罪の赦しをなしとげてくださった救い主イエス・キリストだけなのです。皆様も、泉の源であるイエス・キリストを求められませんか。大津集会は、皆様が真理を求めて来られることを心から歓迎いたします。