|
カテゴリ:☆私の物語り
私のウェブホームページはこちらからね。 私のブログをお訪ねくださいましてありがとうございます。 ネコにカツオブシといいますが(それも好き!) 皆さんに、このページを 開いてもらうのも、うれしいです。『このページはリンクフリーでお願いします』 ☆後日談・・・・・ このお話は 前回 のつづきです。・・・・ 以上は「相棒のひろや」が昔、死んだお祖父さんから聞いた話だ。 それからも時々明見湖で溺れる子供はいたそうだ。 最近は無いな。 私が生まれるズ~ト前、昭和35年ころ じいさんトコが火事になった時、可愛がっていた黒猫?が 焼け死んだ。 じいさんは「相棒」に手伝わせ、猫塚に 刀一振りと一緒に、その猫を埋葬したそうだ・・・・ 「丸」は字麻呂山の下方で古くは丸八軒と称した。 いまでも、葬儀の折には丸組と記入されたハッピを着る。 後に、焼け野原(溶岩台地=丸尾)を開拓して新田とした。 寺を移し、その門前を堺にして富士山側に住む。 幹周り3mほどだったマメガキの古木2本は 中が洞になっており、フクロウの巣によく使われたが 「相棒」が東京住まいしていた昭和50年ごろ何も知らぬ 宅地造成者により切り倒された。 地の歌舞伎「あまんどう」と「六地蔵」の台本は 散逸して残っていない・・知っている人がいればいいけど・・ 「六地蔵」の内容は、その子孫が居るので公表は無理。 柿渋は防腐剤、薬、刀の鞘等武具の塗料 として利用された(渋ウチワもそうだ) 農家の現金収入になった。 桂川(相模川)は以前は明見湖に流入していた。 後、大明見という所に関を作り水路を迂回させ 明見湖には堰堤をつくり、古名のオザノガワ(御座之川=相模川) から名前を取り、小佐野川とした。 明見湖の水を排水するため新しく掘りを掘削した。 干した明見湖を万年寺の名前で開田した。 雪代とは春先に起こる富士山からの雪泥流である。 明見之龍王への祭壇は現代人は、お神輿休みと称している。 湖水の神輿の清め場はゴミ置き場となっている。 明見湖の名前も知らぬ地元の人はハスイケと言う。 竜神様も、ましてや猫神様など知らぬ・・・・・ 【 明見之龍神伝 】 猫神様の話はおわり。 ミ ミ より 日記へつづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.04.17 23:53:36
[☆私の物語り] カテゴリの最新記事
|