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カテゴリ:家族
名古屋の小学校は私服だった。 火事は母に任せきりだった父。 洗濯は何とかやれるが 仕事に追われなかなか思うように 家事ができず 私も洗濯は手伝う。 けれど、当時の洗濯機は二層式で 水が冷たくて、洗濯は とても億劫だった。 それに洗濯は、代替晩御飯の後 銭湯へ行き それからやっていたので 眠くて余計に面倒だった。 なので、3日に一度だったり 1週間に一度まとめて コインランドリーへ行ったりした。 だが、そんなに衣服があるわけではなく 着替えは二、三日に一度なんて当たり前だった。 銭湯へ行くのも二、三日に一度だった。
だから 薄汚れの子供たちだったのだ。 でも、幸いにも友達から汚いと言って いじめられることはなかった。 お淘汰値はどうだったのかは覚えていない。 情けないお姉ちゃんだったね。
でも、お淘汰値もそれなりに友達はいた。 悪さもそれなりにするがきんちょたちだった。
そろそろおわるかも
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