またまた 泣いちゃった
人気ブロガー 和歌山のエリリンさんに紹介いただけたおかげでhttp://plaza.rakuten.co.jp/01060215/diary/201106170000/新曲「いにしえ」 アクセス数伸びてますhttp://musictrack.jp/musics/37625まだのかたは 是非 どうぞ 聞いてくださいさてさて昨日の日記で紹介したモンゴル族の少年の話思いのほか反響がありました会社の同僚が教えてくれました名は ??木この名前で検索すれば YouTubeにもUPされてますが、残念ながら 上海では見れないので番組の模様かどうかが 確認できませんがたぶん そうだと思います下記 You Kuは その時の番組の様子をUPしていますが日本では アクセスが出来る場合と出来ない場合があると前に聞いたような 気が・・・・が、これは番組の、少年のインタビューからありますなんとすでに3,000,000 近い アクセス数になっていますhttp://v.youku.com/v_show/id_XMjcxMjgwMjA0.html興味のある方は ここかYouTubeで 検索して 見てみてくださいさて今日は 父の日 まあ おいらも 親父はすでに亡くなっていないけど酒飲みでねえこれまた 昨日の 日記じゃないけどネットで見つけた ある方の手記でおいらの 話ではなく 他人様のお話なんだけどなんか 共通する所があって読んでたら 親父を思い出してまた 泣いちゃったと、いうのもおいら 日本の会社勤め時代30代の頃初めて課長になった時まあ、それなりに 自分の仕事ぶりが 認めてもらえたようで嬉しくて親に 電話で軽く報告すると凄い、よろこんでくれてある 週末に親父と おふくろが高そうな 日本料理屋に連れてってくれて御馳走をしてくれたことがあった俺の 親父も お袋も 大人数の兄妹の末っ子同志で結婚して親父も 獣医を辞めて 会社勤めした頃遅ればせに 苦労して課長になったとき すごい嬉しかったらしいけどその時に もう親はいなくて自分の子供が 課長とかに、もし なったらこうしてお祝いをしてあげよう と決めてたんだとお袋が 親父が席を外した時耳打ちしてくれた親父もネクタイ締めて正装でさ お袋も地味ながら よそいきの服着て「おめでとう」とビールを注がれた時は 泣きそうになったっけそんな あの日の事を 思い出した 父の日下記 ある方の 手記ですボジョレーの季節でしょ。でも僕は下戸なんで、イマイチわからんけど。いまいち仲が良くなかった父が入院する前夜、まあいつまで入院するかわからないけど一応、別れの杯だ、なんて冗談めかして言ったんだ。こんなの初めてのこと。ワインが大好きだった父は、とっておいたビンテージ?を開けて僕と自分につぎわけ、乾杯した。母も珍しいこともあるもんだと言って、これまた珍しく家の中で写真をとった。父と初めて対座して酒を酌み交わすってのがなんとも居心地が微妙なもので。かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと笑っていた。それで入院。末期の食道癌で家に帰ることなく闘病4ヶ月であっけなく逝った。最初で最後の父と息子の晩酌だった。父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、何か文字がメモしてあった。「××(僕の名)大学卒業用」「××就職時用」「××結婚時用」瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった。ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。それ以来下戸ながら、月の命日には赤ワインを開けて、父を思い出すようにしている。僕はもう結婚まですませ子供もできたが、父の残したボトルは空けてない。もっと酒を教えてもらえばよかったと、本当に思う。