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カテゴリ:アート関係
それから、伝え聞くところによると 先ほど書きましたように、安藤忠雄さんがこの元会長の悲願だった美術館を請け負ったわけですが、実は、氏もびびりながらもよく達成したとのことです。 しかし、この湾岸構想に携わられたことで安藤建築がいきなり飛躍したとも言われています。 この当時のことは、建築に携わられている ある方が書かれた文によく表現されているので、 ここでご紹介したいと思います。 (すみません、お名前を記載しておくのを忘れましたが転記させて頂きます) 『今でこそ、大阪湾岸沿いは、北港・南港など各地の開発も進み大きく変貌を遂げつつあるが、近代化の波の中で一時忘れかけられいた、本来豊かな水資源を誇る“水の都”でもあった大阪を取り戻す社会環境構築への突破口として、さらには大阪湾から瀬戸内海へとつながる文化圏の構想拠点として、このミュージアムは創りあげられた。 建築家としてできること、そこには、ひとつのミュージアムを建てるということの情熱にとどまらない、その存在をもって社会をも動かすという使命を課し、多くのものを手掛けられてこられた世界建築家、安藤忠雄氏はそれを背負い、成し遂げてこられたのだと思う。 サントリーという企業による民間のミュージアムが、民間という枠を超え、現在は、東京・福岡では都・市の美術館で行われていた『アール・デコ』が開催されているなども、この事業が大阪湾岸の公共のひとつの革命事業であったかがうかがい知れる。』 私など生来の大阪住民なのに、学生当時から、「大阪の街はゴチャゴチャしていて好きでない」などと言ったりもして、神戸や京都などに出かけることも多かったのですが、 こうして“水の都”としての大阪を取り戻そうという一大構想が練られ、着々と施工されていたんだと思うと何んだかジーンとさせられました。 『アール・デコ展』 「サントリーミュージアム」の魅力 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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