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Power of dream ~いまを生きる~

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2007.04.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類
亡き母を知っている人と、
何人かお会いしましたスマイル

「どこかで見たことあるなぁと思ったら、
そうだよ!!Fさん(私の前の苗字です)のお嬢さんだよスマイル
お母さん、本当にかわいそうだったよねぇ~~~」


そうなんです。

ちょうど今から26年前に、母は他界したのです涙ぽろり
(私の今の歳だよ。←強調!!

実は、亡くなる1年以上も前から、時々疲れやすいといった症状があったことを、
今になって、教えていただいたのです。

私、全然知らなかったよぉ~~~。

私の前では、いたって厳しい母親だったし、
入院した年には、夏までPTA役員をやっていたくらいなんだから。

今でも思い出すよ・・・。

母親が、突然おなかが痛くなって、救急車で運ばれたときのこと。

家に誰もいなくなるからって、隣りの家に泊まったんだよね。

そして、精密検査もやらずに、その次の日には家に帰って、
普通にPTA役員として、バリバリやっていたんだよね。

そして案の定、1ヶ月後、またおなかが痛くなって、
近くの病院で診てもらった途端、即大病院に運ばれて、入院。

11月の、これから寒くなる頃だった。

その頃、小学校2年生だった私は、母親の病気は、
「胆石」とずっと知らされていたんだよね。
本当の病名を私が知ったのは、かなり大きくなってからのような気がする。

毎週毎週、都内のN医科大学まで、お見舞いに行った。
黄疸で、顔も目も、体全体が黄色になっていて、
おなかから管をとおされて、辛そうだった母親に会うのは、
正直、辛かった。
でも、辛い思いをこらえて、母に会って、
学校でこんなことやったよぉ~~、友達がねぇ~~、と話した。
でも母と私の会話は、たったの5~10分。
30分も話したら、「お母さんこれからお医者さんとお話しするから」
と、いつも父に外に連れ出された。

時々、父と母をのこして(二人きりにしたかったみたい)、
私はよく親戚のおじさんたちと、
新宿や浅草へ、遊びに行ったのです。
私が退屈そうにしていたからかなぁと、当時は思っていたけど、
どうもそうではなかったらしい。
母は、私には、母親自身がどんどん弱っていくところ、見せたくなかったみたい。

そして母の最期は、とても私を病院に連れていけるような状態じゃなかったと、
何度も父からきかされた。
モルヒネの影響で、精神状態、かなり悪化していたらしい。

母は、私の前ではいつも、厳しくて優しい母親だった。

そんなに無理しなくてもよかったのに・・・。
辛ければ辛いって、私にこぼしてもよかったのに・・・・。
でも、こぼせなかったんだろうなぁ。
小さい子どもの前で、「痛いよ、辛いよ」って。

すっごく悲しかった。

そして26年たった今でも、よく母親のことを思い出す。
とくに、母の歳(34歳2ヶ月)を越えようとする今、
(ちょうどあと1週間で超えるのです!!)
本当に不思議と、昔お世話になった人たちとの再会を、
心から望んでいる私がいる。

そして、めいいっぱい再会をたのしんで、
母の思い出話、私が小さかった頃の話をして、
ようやく、
幼児期~児童期~青年期~成人期(今!!)
の私の歴史が、つながっていくような気がする。

簡単な計算からいくと、4月14日が、母の年を越える日・・・。

その日は何かしたいな。お墓参りに行くとか。








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最終更新日  2007.04.07 23:21:43
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