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最近、「田丸直昌」という戦国武将の名を知りました。どういう人物なのかと言うと、世に名高い「小山会議」(※当初は会津上杉退治のために出軍した徳川内府率いる豊臣政権下の多国籍軍が、石田三成を中心とする別個の政治勢力により挙兵された西軍に対抗し、初めて「東軍」として組織化された決起会議)において、並み居る東軍の諸将の意向に反し、唯ひとり西軍に参加したという武将です。直昌個人に、家康に対して叛かざるを得ないような特段の意趣があった訳でもないらしく、直昌の決断理由には、「あくまで豊臣恩顧を貫いた」や「単純な組織解釈として、当時の政権当事者である秀頼を擁する西軍に、理があると考えた」など諸説あるものの、今となっては実際の彼の胸中を推し量れるべくもなく、歴史の結論としては、田丸家が関が原後、取り潰されてしまったという事実だけが残されています。(のち曲折を経て、旗本として再興)また、一方の家康ですが、田丸家の部隊は600人程度の小兵団で、軍事的には直昌一人の離反など痛くもかゆくもなかったでしょうが、将来の天下人を自任する東軍盟主の心情的には如何ばかりであったでしょうか? 『関が原決戦』という日本の中世と近世を隔する一大イベントのはざまで揺れ動いた、田丸直昌の心情。そして文字通り歴史のはざまに埋もれてしまった『田丸直昌』ですが、歴史に直面する一個人が翻弄される様を考えさせられる味のある人物だと思うのです。
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Last updated
Nov 20, 2006 01:02:57 AM
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