本のタイトル・作者
歩きながら考える (中公新書ラクレ 773) [ ヤマザキ マリ ]
本の目次・あらすじ
第1章 歩き始めて見えたこと
第2章 コロナ禍の移動、コロナ禍の家族
第3章 歩きながら人間社会を考える
第4章 知性と笑いのインナートリップ
第5章 心を強くするために
引用
例えば、親も学校も子どもに、生まれてきたからには自分を一生懸命に磨いて立派になりなさい、という人間としての理想像みたいなものをそこはかとなく押し付けてくるものです。子どもたちは皆、自分たちが生まれてきたその意味を、社会的評価という結果で立証せねばならない、という気負いを抱えながら育っていきます。そんな社会的傾向が、笑いの質の変化にも表れているのかもしれません。
人間を美化することは、すなわちあらゆる社会の現実から目を逸らすことです。その結果、人間は自分を客観的に見る機会を失い、益々脆弱化していきます。
感想
2023年049冊目
★★★
ヤマザキマリさんのコロナ禍でのエッセイ。
これまで読んだほかの本の内容とも重なるところが多かった。
ふんふん、なるほど〜。そういうふうに考えるのね、と思うところと、
え〜そうかなあ、それはちがうんじゃない?と思うところと、両方かな。
モノづくりの人間は締切に追われているから契約書を隅々まで読んでる暇ないんだぜ!
それなのに騙し討ちみたいな契約してくるのどうなんだよ!
っていう主張はちょっと暴論だと思った。
それならその専門の人を雇ったほうがいいんじゃなかろうか。
イタリア人の夫が、コロナであっても何をおいても会いに来ようとするのも、日本とは違った「家族」観なんだなあ。
日本だと世間体を気にして、会いに行かないと思う。
それは、家族よりも世間が強いということ?
「世間から後ろ指をさされない」ことが、家族を守ることでもあるから。
広島で戦艦「大和」の展示を見たヤマザキさんは、「結果を生めなかったとしても尽くしてやったという価値が残ることに意義がある」という他の文化圏では通じない日本の美徳を感じたという。
これ、他の国では通じないのか。
日本だと「一生懸命やっていること」に意味があるというか、残業文化もそうなのだけれど、出力されたパフォーマンスではなく、「そこに至る過程にあること(場を共有すること)」に意味を見出す。
西洋的な価値観に染まると、莫迦みたいと思うんだけど。
子供の運動会やら、そういうのも全部、「結果より過程」を重んじる。
これって教育には普通のことだと思っていたけど、他にもそういう国ってないのかなあ。
教育と社会は別なんだろうか。
古代ローマ人にとって、反逆者への屈辱的な制裁が「ダムナティオ・メモリアエ(記憶抹殺の刑)」だったというのは興味深かった。
彫像を打ち壊し、歴史書の記述を削除する。
情報の発信源と保管が限られていた時代、大本の歴史から削除されるということは、そこに存在しなかったことになること。
生きた証を、成し得たことを、消されること。
また、ヤマザキさんが落語について触れていた。
いったいいつから、日本人は「等身大以上の何者かにならないといけない」と自分を美化して考えるようになったのかと。
落語の世界に出てくる、あるがままの人間の情けなさ。
子供を育てていて思う。
この子はこのままでいい。この子のままで特別だ。
けれど同時に、社会の基準の「特別」を期待し、誰かに評価される「特別」になってくれやしないかと、心のどこかで願っている。
一番になんてならなくても良い、あなたは元々特別な、唯一の存在なのだから。
一斉を風靡したその歌が、白々しく聞こえる。
だってそれが真っ赤な嘘だと知っているから。
自分の中でも、社会でも。
だから言い聞かせて、そのまやかしを信じたふりを。
それが真実であればいいのにと思いながら唱える。
ある意味では本当の嘘を。
コロナは、私たちに立ち止まる機会を与えた。
私たちは、共通して世界を覆う未曾有の同時多発的な「死」に怯えた。
けれど、どうにもコロナはこのまま曖昧に軟着陸しそうだ。
インフルエンザやそんな病気のひとつとして、私たちはウイルスと共に生きていく。
誰かが死に、誰かは生きる。
コロナという病気は、そのひとつになる。
「みんなが」死ぬわけではない病のひとつに。
私たちはまた、歩き出す。
あの時立ち止まったことなど、もう忘れたように。
目まぐるしく変わっていく世界に置いていかれないように駆け出す。
走れ走れ走れ。
もっと速く、もっと遠くへ、車で、電車で、飛行機で。
立ち止まった時、見えてきていたものを。
大切にしなければいけないと思ったものを。
気付いたはずの真理を、手に入れたはずの意味を。
一時の気の迷いだったかのように、置き去りにして。
澄んだ空を、誰もいない街を、夢のように忘れて。
あの時、思ったはずだった。
立ち止まって、すべてが一時停止したような世界で。
「何をあんなに急いでいたのだろう?」。
何のために生きているのかを、限りある命なら明日何をしたいかを、己に問うたのに。
立ち止まって、考えて。
でも今、もう一度動き出すなら、今度は自分の足で歩く速さで行きたい。
永遠に止まっていることは出来ないから、歩きながら、考えよう。
あの時、感じたことを、見えていたものを、胸に抱いたまま。
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