本のタイトル・作者
謎が解かれたその日から 発達障害の3きょうだいとお母さんの物語 [ 国立ともこ ]
本の目次・あらすじ
2010年夏休み明けの9月、当時小学6年生だった長女「はなちゃん」が学校へ行きしぶり始めたのが、この物語の始まりだった。
不登校、体調不良、ひきこもり。
うつ、幻聴、フラッシュバック、自傷行為、拒食過食。
長男じろは、4年生から教室へ登校しなくなり、6年生から特別支援学級へ。
次男たろは、保育園5歳児クラスで発達障害の診断。入学式から不適応を起こした。
引用
今だから思えることだけど、私のあの地獄のような時間は昆虫の脱皮のプロセスと似てる。
昆虫の脱皮も命懸け。体の一部が取れてしまうこともあるし、途中で命を落とすこともある。
私のあの苦しかった時間は、私のいろいろなものを奪っていったけど、あのまま自分を知らずに、脱皮せずに生きていくことはできなかったと思う。かと言ってもう苦しみがなくなったわけじゃない。
人から見て大したことがないこととか、どうしようもないことが私にとったらものすごい苦痛を感じるし、こんなにややこしいものをもって生きていくって自分でも疲れてくる時もあるけど、私はもう特性を含めた自分の人生を生きていこうっていう考えで生きてる。
全部が私、どの自分も私だから。
感想
2023年062冊目
★★
いやもうほんと、お母さんがすごい。
ほんとうに、がんばらはったなあ。
子どもたちももちろんだけど、お母さんが前向きにとことん子どもたちと向き合ってこられたんだろうなというのが伝わってきて、ひたすら「すごい」と思った。
ただ、この本、構成が悪くて。
時系列ごとに家族の出来事をエッセイでまとめているのかと思ったら、なんか飛び飛びだし、事情がよくわからないこともあり、途中に先生の話が挟まったりで、「???」となってしまった。
自分の子供が不登校になった時、ひきこもりになった時。
はたして私は、ここまで直向きに、子どもたちに向き合えるだろうか。
全身全霊、命を懸けるようにして、自分の子どもの要求を叶えられるだろうか。
私、その自信がない。
私は妹が幼稚園くらいから細く長く不登校で、ひきこもりもあった。
その時の家庭の状況とか、母のこととか、色々見ていて、だからこの本のお母さんの辛さと心の内を(多くは語らずさらっと書いてらっしゃるんだけど)思った。
妹がひきこもりだった頃。
分厚い殻の中で、外側からどんなに働きかけてても駄目だった。
煽てて、宥めすかして、脅して、なんとかそこから出ていけないかと周りが動いて、でも本人はまったく動けなくて、周りは疲弊して、諦めていった。
腫れ物に触るように扱った。
壊れたレコードみたいに繰り返し、同じところをぐるぐると、何年も何年も回っていた。
いつになったら、どうしたら。
母の嘆きを、私は延々と聞いていた。
何時間も何時間も何時間も何時間もずっと。
母もまた、心と身体を壊した。
妹が見えるかたちで「壊れた」のであれば、私は見えないように「壊れて」いた。
誰にも気付かれないように、ひとりで壊れた自分をかき集めて歩いた。
傷だらけで血を流しながら笑っていた。
でも妹は、何年もかかってその殻の中からちょっとずつ出て、彼女は31歳で高校を卒業した。
彼女は今、高校で出来た友達もいて、ちょこちょこ働いたりボランティアをして、楽しそうだ。
すごろくのように、○歳で高校を卒業して、大学を卒業して、就職して、結婚して、…と、コマを進めていくような人生ではなかった。
けれど現在の妹を見ていると、はたして何が幸せなのかは、最期の時までわからないなと思う。
それは自分が決めること。
(まあ現実問題、今後彼女を誰が扶養していくのか(たぶん私)という問題はあるんだけど)
妹の世界は、単線ではなく複合的だ。
私はそれを、羨ましいと思う。
私は結局、レールから降りることは出来なかったから。
でももう私は、誰かの望む私でいることは、ない。
と、思う。
そうありたいと、願っている。
だから、「理想のお母さん」でない自分にも落ち込むけれど、私は私のままでいたい。
ついつい自分をよく見せて「いい子」になろうとしちゃうので、そのたびに「おいおい待てよ」と自分を引き止める。
いーんだよ。別に。お前はお前のままで。
もういいんだよ。私がお前をゆるすよ。
誰がお前を嫌いでも、私はお前が大好きだ、相棒。
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