題名
ジャクソンひとり [ 安堂 ホセ ]
作者
安堂ホセ(アンドウホセ)
1994年、東京都生まれ。2022年、『ジャクソンひとり』で第59回文藝賞受賞
目次・あらすじ
アフリカのどこかと日本のハーフで、昔モデルやってて、ゲイらしいースポーツブランドのスタッフ専用ジムで整体師をするジャクソンについての噂。ある日、彼のTシャツから偶然QRコードが読み取られ、そこにはブラックミックスの男が裸で磔にされた姿が映されていた。誰もが一目で男をジャクソンだと判断し、本人が否定しても信じない。仕方なく独自の調査を始めたジャクソンは、動画の男は自分だと主張する3人の男に出会いー。研ぎ澄まされた視線と痛快な知恵で生き抜く若者たちの、鮮烈なる逆襲劇を描いたデビュー小説!第59回文藝賞受賞作。
引用
「踊っているふりをしているだけなんだ」
感想
2023年072冊目
★★
うーん。
うううううううううん。
と、読了後に唸ってしまう。
なんだろうなあ。なんていえばいいんだろうなあ。
芥川賞候補作に挙がっていたので読んでみた本。
いやほんま、芥川賞って「これかー」という本多いよな。
だからこそ本屋大賞が生まれたわけだけど。
「黒人とのミックス」であること。ゲイであること。
アイデンティティの異なる4人が、投稿されたポルノ動画で本人と間違われたことから、他人に「入れ替わる」ことを思いつく話。
新海誠「君の名は。」の金曜ロードショーをみんなで見ていて、「そもそも同じ顔じゃん」と言う。
白線に黒い線、で肌は白という世界を批判する。
「メシと夕焼けを緻密に描き込むより先に、もっとやることあんだろうがよ」
痛烈。
これが普通だよね。当たり前だよね。みんなこうだよね。
声に出されていない、大きな声。
明文化はされてない、共通認識。
それは、そこからはみ出している人にとっては、いつも「〇〇以外お断り」とされているのと同じなんだろう。
入れ替わりが可能なこと。
まわりから判別ができないこと。
それは私は、「見えないこと」、だと思った。
インビジブル・パーソン。
そこにいるのに、いないもの。
人種に限らないだろう。
職業だってそうだと思うことがある。
けれどそれは、見慣れているかどうかということでもある。
前に読んだ本で、幼少期から育った環境で、同じような顔の見分けがつくかどうか、が決まるとあった。
それはその子の生育環境によるもので、人種的なものではない。
日本人が、欧米でほかのアジア人と見分けがつかないと言われるのも同じで。
途中まで「ポルノ描写はえげつないな」と思いながら読んでいて、この4人どうなるんやろうなあと思っていたら、ラストで急に「え?」ってなって、「え?」ってなったまま終わった。
え?なんやったん?お前だれなん。
は?この本、結局何がしたかったん?
呆気に取られすぎて、残業して0時近い電車に乗っていたのに一駅乗り過ごしてしまって、上りの電車の終電終わってたから、次の下りの終電に間に合うように一駅必死で走ったわ。笑
けどこの本を読んでいて、私だってそうなんだろうなと思った。
十把一絡げに、かたまりとして、集団として、そういうカテゴリーとして、見ている。
個ではなく。
ジャクソンひとり。
冠詞をつけるなら、それは「A Jackson」だ。
Theじゃないほう。
置換可能で、代替可能で、ではそれは誰なんだろう?
その存在を定義しているものは、何なんだろう?
たとえばそれは人種だったり。性別のカテゴリだったり。職業だったり。
なんだってそうで、だからこそ、よく見なくては。目を凝らして。
そこにあるもの、そこにいるひと。
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