書名
牧野富太郎と寿衛 その言葉と人生 [ 牧野 一浡 ]
目次
第1章 高知の山野に親しむ
第2章 世界的発見の数々
第3章 貧困の中でも研究にのめり込む
第4章 東大を辞し自由に研究を続ける
感想
2023年116冊目
★★★
朝ドラ「らんまん」の影響で、
2023.05.17
牧野富太郎自叙伝 [ 牧野富太郎 ]
2023.05.18
牧野富太郎の恋 [ 長尾剛 ]
と読んできました。
今回は、ひ孫にあたる牧野一浡(かずおき)氏の監修による一冊(この方は退職後に練馬の牧野記念庭園の学芸員をしてらっしゃる)。
写真や図がたっぷりで、『牧野富太郎自叙伝』の解説本というか、補足としても良かったです。
明治33年(1900年)に東京帝国大学理科大学植物学教室助手室で撮影された38歳のときの写真とか、もう標本が棚にどっさりで、床にも机にも本と草花が溢れていて、そのなかに埋もれるように牧野氏が立っているの。
構図もすごく素敵な写真。
よく考えたら、自叙伝は本人視点で、小説も本人視点であるから、外から見た目線というのがなかった。
この本は、他者の視点が入っているから、富太郎氏についてより深く知ることが出来て嬉しかった。
(ちなみにp58の祖母の名前が「波子」となっているが、ほかは「浪子」で統一されているので、誤変換による誤植だと思う)
たとえば、富太郎氏の号である「結網子」「結網学人」。
漢籍で「結網」が「自ら工夫する、努力する」という意味で、伊藤蘭林の私塾で学んだ際に教わったのだという。
ほかに富太郎は植物学に取り組む自らの心得を「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」15条としているのだけど、これは古代中国の伝説の皇帝・神農が、赤い鞭で草を打ち、それをなめて薬効を確かめたことに由来する(そのため本草学者を「赭鞭家」と呼ぶことがある)。
マキシモヴィッチ(東南アジアの植物の第一人者であるロシアの植物学者)は、富太郎を高く評価し、本を送るときは植物学教室に1冊、富太郎に1冊送ってくれていたのだって。
そりゃあ…東大の先生方は、おもしろくなかろうもん…。
この本に、矢田部教授との確執について書かれていて納得したのが、富太郎は「他人を見上げることもなく、見下げることもない」。
だから教授に感謝はしても、対等な存在として扱う。
一方の相手は、明治の御一新に国費留学を果たした人物。小学校中退の人物にそのように扱われるのは我慢がならなかった。
そして富太郎が創刊した『植物学雑誌』(まず表紙の絵や装飾が美しいのだけど、たぶんこれも富太郎の手によるもの?)、この時代には「図鑑」という言葉がまだなかったというのは驚き。
種ごとに分類して図と文章で解説する、それなら江戸時代だとか、もっと前からありそうなものなんだけど、なかったのか。
1909年以降、富太郎氏は熱心に植物同好会の採集会にも出向き、指導や講演を行っていた。
月1回、日曜日に集まっての採集会の参加者は、アマチュア植物研究者に学校の先生、主婦や子どもと様々だったという。
「天然の教場でともに学ぶ」という姿勢を貫いた富太郎氏に、みんなファンとなって、彼は「植物大明神」と呼ばれるようになったそうだ。
そうして全国各地からの情報が富太郎氏に集まるネットワークが形成された。
このエピソード、好き。
しかもこのときに設立された同好会、まだ存続しているんですよ!すごない?!
→
牧野植物同好会
戦後には、富太郎氏は食糧難の折に「武蔵野の草を食う会」を開いて、食べられる野生植物を紹介していたのだそうだ。
彼にとって知識は独占するものではなく、誰かのものではなく、みんなにシェアするものなんだよなあ。
富太郎氏の膨大な標本。
その標本を取り出したあとの国内外の新聞にも資料的価値が認められ、東京大学法学部・明治新聞雑誌文庫「牧野新聞」コレクションとして活用されているのだから…この人、ほんま…。
それに、これまでの本を読んでいて「ん?」と思っていた、借金精算のお礼に神戸の池長植物研究所に預けていた標本が返された話。
これ、東大泉の富太郎氏の住まいの庭に、標本収蔵の建物を寄贈してくれた人(花の自然の姿を知ることが大切だとフィールドワークを重視していた富太郎氏を尊敬していた華道家)がいたから叶ったのだそうだ。
この人、ほんまに人たらしやなあ…。
昭和31年(1956年)に、高知県が牧野植物園を設立することを決定したときも、富太郎氏は「特殊な植物以外に、産業、経済に関係ある多くの植物を植え、観光客にも好まれる植物園にしてほしい」と伝えたのだそうだ。
いっそう行きたくなった。
すごいよね、この人。
石版印刷を自ら学んだというところもそうなんだけど、視点がちょっと違うというか、NHKラジオの「高橋源一郎の飛ぶ教室」では、マーケティングに優れていると言っていたけど、そうだと思う。
それも自分のためじゃなくて、みんなのための、突き詰めると植物のためのマーケティング。笑
自分は貧乏なままなんだよね。
巻末に、ひ孫にあたる牧野一浡氏のインタビューがあって、その中で、富太郎氏の妻・寿衛さんは、富太郎と一緒に外出するときは着物を借りてきてお出かけして、しかもそれを本人には伝えなかったんだって。そんなことを露とも知らぬ富太郎は、そんなおしゃれで粋な妻と一緒に外出するのがとっても自慢で、うれしくてしょうがなかったのだそうだ。
うふふふ、可愛いなあ。いいねえ。
ほんと、牧野富太郎沼、おそろしいよ〜。
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