|
テーマ:読書(8488)
カテゴリ:【読書】暮らし・生活・インテリア
書名 捨てなくても大丈夫 (TJMOOK) 目次 五木寛之 モノと記憶とともに生きていく。 五木寛之さんが語る「捨てない」豊かさ 京極夏彦 累積するモノの機能を追求した究極の在処 田原総一朗 本があふれるこの部屋が最前線に居続けるための拠点 赤峰幸生(インコントロ代表) 「装う」を極めてたどり着いた真髄と哲学が宿るアトリエの風景 吉田豪(プロインタビュアー) 地層のように積み重なった捨てられない歴史と生きる 郷古隆洋(Swimsuit Department代表) 世界中から集められたモノと笑顔にあふれる家族の住処 福田春美(ブランディングディレクター) 歴代の好きなモノが織りなすくつろぎの“巣” 下田昌克(画家、イラストレーター) 恐竜が住む部屋で愛着あるモノたちに囲まれて パトリック・モリエス 膨大な美術品が物語る独自の美学に満ちたメゾン ベアトリス・バロッシーニ/ファブリス・バロッシーニ 家族代々のモノと異国のオブジェが同居する感性の住まい 積み上がるモノとともに生きたレジェンドの遺品の行方 脳の働きから考える好きなモノ・大切なモノと生きる豊かさ 捨てない、のその先を考えよう モノの行き先準備ガイド 書き出すことで見えてくる!私のモノ手帖 感想 2023年162冊目 ★★★ 甘いもののあとにはしょっぱいもの、 ミニマリスト本 2023.07.25「161.より少ない家大全 [ ジョシュア・ベッカー ] 」 のあとにはマキシマリスト本。 この本のタイトルが、世の「捨てるが正義」「物は持たないが正解」という風潮、長く続く断捨離ブームに「大丈夫だから!」と立証しようとするようで頼もしい。 私は京極夏彦さんが掲載されているのを目当てで読んだ。 しかしこの本、表紙からまずうっとりするでしょう? こんなにモノが多いのに。 それはひとつには本が多くてうっとり、ということでもあるのだけれど。 インタビューされている面々も豪華。 冒頭は物書きが続くので、膨大なコレクションも本が多い。 いやもうこれ、どないすんのって量。 田原総一朗さんなんて、ホテル住まいなんですよ? なのに床から無造作に積み上がる本・本・本のタワーたち。 京極先生の本棚は対象的にピシーっと一部の隙間もなく詰まっている。 本が続いた後は、服飾や雑貨が続く。 赤峰さんという方のワードローブのコレクションは圧巻。 この方は、朝に散歩をしているときの朝焼けの色からその日の服装を決めたりするのですって。 いろんな絵の具で絵を描くように。 だから少ない服で着回す、私服の制服化は理解できないという。 私が一番身近に感じ、「この家いいなあ」と思ったのは、郷古さん。 民芸品やら何やらが雑多に組み合わさった、この本で唯一の子育て世代。 カラフルでごちゃごちゃ、古いものと新しいものが混在。 機械的なものと手作業のもの。歴史と未来。 「BEAMS AT HOME」とかに出てきそうな感じの雰囲気のお家。 自分で作った恐竜の模型(布で作ったぬいぐるみみたいな骨格標本)がでーんと天井から吊り下げられた下田さんの部屋も面白かった。 ここのお家は、カーテン代わりに掛けられた布の透け具合や、玄関ドアに貼られたいろんなもの、マグネットのカオスがアトリエっぽくて素敵。 この本で印象的だったのは、五木寛之さんの言葉。 そこにモノがあれば、ふわーっと記憶が蘇ってくる。どんなに小さなガラクタであっても、そうした記憶の依代となるものを大事にしたいのです。人は過去の記憶に支えられる存在。記憶を大切にするというのは、(略)人生で困難が訪れたときに、幸せだったころの記憶や、過去に困難を乗り越えた記憶を思い返すことで、今を耐えることができる。それが、前向きな記憶というものです。今をしっかりと生きていく。そのために、記憶を簡単に手放さないで、むしろモノをきっかけに取り戻す必要があると思うのです 認知症になった人に、昔の思い出の品を触ってもらうという治療?があるらしい。 五木さんがいうように、モノは記憶を呼び覚ますキッカケになる。 その当時の思い出を下ろす「依代」に。 よく、捨てられない思い出の物は写真に撮って残しておきましょう、という。 でもそれでは駄目なんだよね。 どこからか出てきたモノに、「あ、これ」と一瞬で記憶が蘇ることがある。 手にとって、触って、はじめて依代として機能する。 モノがあるからこそ。 けれど現実に、すべてを置いておけるスペースはなく、私はたくさんのモノをコントロールできる能力もない。 羨ましいな、とコレクションができる人を思いつつ、自分は違うところで記憶を残そうと思う。 そもそも私、めちゃくちゃ記憶力悪いから、過去を思い出そうとするとだいたい空白(真っ白)だからな〜。必要ないやん…。 より少ないことがより良い。 という考え方がニュー・スタンダードのように私は語るけれど。 そうじゃないこともあるんだよな、と思う。 私は曽祖父だかの一本の木から作った将棋盤を受け継いでいる。 将棋も出来ないのに。 玄関でちょっとした物置として使っている。 高さがあわずにガタついている将棋盤。 濃い色に変わった時を経た木。 そこにある傷を撫でる時、私は顔も知らない先祖のことを思う。 仏壇がないから、先祖のことなんて考えるのはそのときくらいだ。 捨てられないもの。 手に触れる記憶。 捨てなくても大丈夫。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.26 08:21:02
コメント(0) | コメントを書く
[【読書】暮らし・生活・インテリア] カテゴリの最新記事
|