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テーマ:読書(8489)
カテゴリ:【読書】小説(日本)
書名 書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〈クロニクル〉 [ 白戸 満喜子 ] 引用 「ライブ?」 感想 2023年164冊目 ★★★ 「書誌学入門ノベル」という言葉と、「書医」という見慣れない単語、そして初出が「日本古書通信」に掲載(2010年〜2012年)されていたというのを見て読んでみた本。 本が好きな人って、本という紙媒体も好きじゃね?(偏見) YA(ヤングアダルト)小説かと思って手に取ったけど、どっちかというと大人向けだった。 しかしなんというか、画期的かつ斬新な試みではあるのだけど、内容(書誌学)と物語(中学生向け?)のバランスがいまいち。 小説として読むには流れが悪いというか、設定も「?」と思うところあり。 連載という発表形態もあるからか、途切れ途切れなのも気になった。 作者は、 白戸満喜子(シロトマキコ) という専門の方。 本を修理する専門の「書医」(この小説の造語)の家に生まれたあづさ。 若くして世を去った兄・葵の後、家業を継ぐことを志し、目下修行中の身。 あづさと双子の妹であるさくらは、紙の素材が「色」で見える特技を持つ。 あづさとさくらは、さまざまな古書と、本に携わる人々に出会い、学んでいくーーー。 自分が専門家だとして、その普及のためにいっちょ小説にしてみっか!とあふれる愛を注ぎ込むというのは、なかなかできることじゃない。 専門家でないと書けないだろうなっていう知識。 内容(書誌学)は「ほおお」「へええ」と思うことばかり。 和本・漢籍・朝鮮本という分類があることすら知らなかった。 籠字(かごじ)は、一文字ずつ輪郭をたどって写し取られた白抜きの文字。 双鉤填墨(そうこうてんぼく)は、その中を墨で塗りつぶしたもの。 コピーがなかった時代、原本をそのまま写そうとすると、そうするしかなかったんだなあ。 ものすごい労力。そりゃあ本が貴重になるわけだ。 (ここらへん、『本好きの下剋上』の活版印刷を始める前を思い出す) 私は大学で日本文学の授業を履修し、そのときに一通り和本についても教わった。 その時面白いなあと思ったのは、昔はすべて手で写していたから、もちろん写し間違いがあったり、展開がちょっと変えられたりしているということ。 それをまた人が写すから、どんどん元の本から離れていく。 それを辿っていく文学研究(あるいは言語研究)があるのだと知って、教科書で教わる古典=ひとつ、と思っていた現代人の私はびっくりした。 そうかあ、手で写すってそういうことなんか。 双鉤填墨は、薄葉(うすよう)の斐紙をトレーシングペーパーのように敷いて写す。 だから、写し間違いがなく、また筆致もそのままに写し取ることができる。 朱墨套印本(しゅぼくとういんぼん)というのも、そういう本があるんですねえ。 これは、中国各地の官僚から皇帝への上奏文を墨で書いてあり、皇帝の意見が朱墨で印刷されているものなのだって。 習字の先生が朱で直すような感じか。 アルノ川の洪水とヨーロッパの書物修復については、 ・忘れじのK 半吸血鬼は闇を食む [ 辻村七子 ] ・忘れじのK はじまりの生誕節 [ 辻村七子 ] でも確か出てきたな。 B4やA4の紙のサイズは、私世界共通なのかと思っていた。 この本の巻末にある「浅利先生の書誌学講座」(全10講)は興味深いことばかり。 え、美濃紙の大きさ(B)と半紙(A)に由来するの??? しかもこの「版本の大きさと名称」の出典が『牧野富太郎 叢書の世界』なんだけど?富太郎ここでも何してんの?笑 電車好きが、電車に乗ることを、電車の走る音を、電車の駅の音を、車両を、時刻表を、愛するように。 本を愛するものは、本の内容と同時に、作者を、そして本という形態を愛する。 電子書籍が広まっていったら、紙の本はどうなっていくのだろう。 引用部で、著者は言っていた。 読んだ人の思いが、古書には残っている。 紙の本が今よりももっと貴重だった時代。 一冊一冊を大切に大切に読み継ぎ、人から人へ渡していった時代には、もっともっと「思い」が濃厚に積み重なっていただろう。 活版印刷の後、そういうものは、薄れていった。 古本屋で手に取った本に、はがきやレシートが挟まれていることがある。 それが誰かの○周忌のお知らせだったことがある。 あるいは大学生のテストの答案だったこともある。 書き込みがあることもある。折り癖も。 私はその人が読んだことに思いをはせる。 電子はそれに代わりうるか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.28 08:22:51
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