書名
どれほど似ているか [ キム・ボヨン ]
目次
ママには超能力がある
0と1の間
赤ずきんのお嬢さん
静かな時代
ニエンの来る日
この世でいちばん速い人
鍾路のログズギャラリー
歩く、止まる、戻っていく
どれほど似ているか
同じ重さ
引用
「私は子供たちに、『今がいちばんいい時期なのに』なんて言わない」
あのころはよかったなんて言わせない。
あんたぐらいの年ごろはみんなそうだとか、誰でも経験することだとか、そんなことも言わない。私のそばにそういうことを「言わない」大人が誰もいないなら、それができる大人がこの世に残っていないなら、私が歳をとって、それを言わない大人になる。その言葉にこめられた鈍感さや卑怯さを、愚かさを知る大人になる。
あの誓いを守るために大人にならなくてはいけないなら、今日死なないで、歳を重ねるよ。
三十歳になり四十歳になり、五十歳になり六十歳にもなるよ。今日の私のために老いていくよ。今、この瞬間の私のために。
感想
韓国を代表するSF作家のひとりということで読んでみた。
長編SFかと思ったら、短編集でした。
著者は、1975年生まれ。ゲーム開発やシナリオ作家などを経て、作家デビューされた方。
読んでいて、私はそこまで好みではなかった。
というより、私はどうにもそこまでSFというジャンルがハマらないのかも?
たとえばこの本の「ママには超能力がある」に登場する「触った機械が全部故障する」超能力は、西尾維新の『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』みたいだなあとか、「この世でいちばん速い人」は伊坂幸太郎ぽいなとか、私の中ではSFというのがSFじゃなくて、なんというか日常の小説の「イロモノ・へんてこ」設定という位置づけなのかもしれない。
「鍾路のログズギャラリー」に出てくる「痛快なら、それは正義じゃない」なんて、いかにも伊坂幸太郎作品の登場人物が口にしそうな台詞じゃない?
表題作の「どれほど似ているか」は、宇宙船に搭載されたAIが、「人間の体」を要求し、人間の「バクアップ」のために用意されていた義体に入るという話。
叙述トリック的なところもあるのだけど、「女性蔑視」がテーマになっているお話。
人間は他人に自我があるかどうかを「自分にどれほど似ているか」で測る。
しかしあるポイント以上に似ているものには恐怖を感じる(不気味の谷)。
AIであるフンは、なぜ人間の乗組員たちから憎まれるのか?
それは「機械」だからなのか、それとも?
韓国の女性作家の作品は、フェミニズムを扱ったものが多いけれど、その状況がもうなんというか絶望的なものであることが多くて、いつも読んでいてこの社会地獄やんと感じる。
日本だって似たようなものかもしれないんだけど。
私がいちばん好みだったのは、「ニエンの来る日」かな。設定が好き。
これは、中国のSF団体に掲載された作品。
北京西駅と春節をテーマに、堯舜説話×旧正月×汽車の発想で作られた物語。
私は、アニメ「甲鉄城のカバネリ」を思い出した。
韓国の作家さんが続々翻訳されて日本に入ってくるのだけれど、どの作家さんが自分好みかというのはなかなか分からなくて、まあ読んでみないとわからないことが多い。
『シソンから、』のチョン・セランさんも、『アーモンド』のソン・ウォンピョンさんも、女性なのだよね。
(私はソンさんは男性だとばかり思っていたのだけど)
性別にこだわって作家を選ぶわけではないのだけれど、男性の目線で今の韓国を見ている小説も読みたいなあ。
いったいどう見えているのか。どう描いているのか。
誰がそれにあたる人なんだろう。
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