-永遠の果てを-
僕は、永遠と言う言葉に不思議な念を持つ。必要ない言葉ではないのだろうか、と。よく耳にするだろうが、この世に永遠など存在しない、と言う。ならば、言葉自体も不用だったのではないか。実に下らない事を真剣に考えてるなと、嘲笑われそうな気すらする。しかし、僕が真剣に考えてるのは永遠ではない。ある1つの存在が、必要か否か、そこに焦点を絞っている。例えば、僕が今受けている国語の授業のでぶった教師、僕には正直必要ではない。はっきり言って、授業は下手くそ、そのくせして自分は凄いと思い込む、典型的な自分大好き、な男だ。必要ないどころか、言ってしまえば単なる害でしかない。だったら鼻から存在しなければ良かったのではないか。そう、僕が考えるのはそこだ。最初から必要されなければ、そこに在る意味はないのではないか?それは僕にも、ありとあらゆる人にも言える事じゃないか。そう考えるととても怖い。だから僕は授業中でも、授業そっちのけで真剣に考えてしまうのだ。僕は、誰からも必要にされてないのではないか。友達は沢山居ても、彼らにとって僕の存在は必要不可欠か。そうとは言い難いな。授業が終わってみても思想に深けた僕を見れば、よけいにそう痛感してしまう。ちっぽけな僕が、この教室の片隅に何もせずに座っていても誰も話しかけてもくれない。害でもないが、必要でもないのだ。それが僕であり、大概の人間である。誰からも必要とされなくなる事が、とにかく僕は怖い。それは誰でも一緒だと僕は思ってる。だから人は恋をするのだと、僕は考えた。贅沢は言わない。一人でいいんだ。広いこの世界で、たった一人でいいから、僕を必要としてくれる人が居て欲しいんだ。そして、僕も誰かを必要としたいんだ。皆、そうなんだ。分かって無くてもそうなんだ。だから、自分が必要だと想った人に近づこうとする。愛しいと思う。でも、それが相思ではない事も多い。ならば全てが全て、互いに必要な関係じゃないと言えてしまうのだろうか。相手が必要でなければ、その想いは失ってしまうものなのだろうか。それは違うなと、僕は友達に話しかけられてから思った。必要だと思う事に在るべき意味があると思う。誰かが必要として、僕らは存在する。誰かが必要とするから、僕らはここに居る。無限のループのように人が人を必要とし、必要とされて、生きながらえているのだ。だから、誰かが特別と言う事も無ければ、誰もが特別な存在でも在るような気がする。結局、全て必要で、全て意味が在るんだと、僕は下らない思想に終わりを告げる。そしてもう1つ、この流れた時の中で分かった事があった。よく考えれば永遠は誰もが持つじゃないか。相思相愛の想いは僕はよく知らない。でも、失った想いは永遠じゃないか。忘れ去った想いは永遠なんだ。きっとそれは、相思相愛よりも綺麗に澄んだ永遠だと僕は信じてる。