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前のブログの続編です。
-------------- 【今日の結論】 朔夜67は、タイトルのような関係を構築することは苦手です。 そして、そんな関係に対して「ちょっといいな」と思います。 しかし、「自分自身は(今のところ)そうあることを望んではいない」とも思います。 -------- 昔は、むしろそんな関係は嫌いでした。 「負の感情をやりとりする」 こと自体に忌避感があり、 その結果が 「さばさば」していようと、 「喧嘩」になろうと 憧れの感情とはほど遠いものを持っていました。 前者(さばさば)に「ちょっといいな」と感じるようになったのは、 わたしの気持ちの上の変化です。 今日の日記の最大の目的は この気持ちの変化を書き残すことです。たぶん。 --------------- (したがって、これ以降は補足) タイトルのような関係を構築するには、 互いの合意と同じ価値観が必要です。 どちらか一方でも、ストレートな言葉に傷つくようなら その関係は成立しません。 逆に、 「普通なら傷つくのに この人になら言われても笑ってすませられる」 「不思議と傷つかない」 という例もあるでしょう。 憎まれ口を 「さばさばと言えるキャラ」 「さばさばと聞き流せるキャラ」(※) というものも関係しているかもしれません。 うーん、どちらかというと朔夜67には、無いキャラですねー^^; --------- ※「聞き流せる」と書いて気がついた点。 タイトルの関係は ・「相手からの不満を受け止めて改善につなげる」 ことを想定しているのか? ・「相手からの不満を受け流す。 そしてそれへの応酬を理由に 自分も相手への不満を吐き出す」 ことを想定しているのか? …ここでは後者です。前者のような関係もありえますが、 今日は後者に限って想定しております。 【なんとなくここから常体(「である」口調)】 ---------------- 「私のキャラにない」と書いたが、 私自身だけではなく、朔夜家には 「そのようなことが不得意な文化」が厳然として(?) あると思う。 特に、 「人の言葉に傷つきやすい」点。 (自分が言う分には平気だったりして) この特徴を持つタイプは憎まれ口を「受け流す」(受け止めるor聞き流す)ことが苦手である。 そして、それがゆえに 「憎まれ口をさらっと言う」ことも苦手である。 ちょっとした言葉が許されなかったりする。 あるいは、許されないのではないかと不安になる。 ---------------- 父も母も私も言葉に対してとても敏感だ。 言葉の中のちょっとした刃に、敏感に反応する。傷つきやすい。 言葉への繊細な感覚があるという点で、長所として見ることもできる。 この「朔夜家キャラ」を大切にしよう。 自分が使うならなるべく温かで柔らかい言葉を使おう、と思う。 その一方で、人からの言葉に 自分が違和感を感じても 「受け流す」 ことは意識して行っていきたいと思う。 そのような時、十中八九、相手に他意はない。 これはどちらが良い悪いではなく (相手が無神経なのでもなく、私が過敏反応を起こしているのでもなく) 厳然たる「文化の違い」なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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