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太宰治の短編『トカトントン』がふと読みたくなり、
図書館で借りてきた。 あるきっかけが元で、 「何事に対してものめりこむことがなくなってしまった」男の話である。 今日「トカトントン」を読み返したのは、 その「のめりこめなさ」(※注↓)が含むある種の価値を見出すことが目的であった。 「のめりこめる能力」 「のめりこまない能力」 いづれも大切だと思う。 どちらも失わず、 対象に応じて適切な方を選んでいければ良いなあと思った。 ---------- ※注 このような 「のめりこめなさ」は、この作品ほど顕著ではないにしろ、 私自身の中にも認められる。 社会に出てから、 「学生の頃は自分も熱かったなー」 「子供の頃は自分も熱かったなー」 と、どこか「冷めてしまった」(あるいは「醒めてしまった」) 自分を認めることは、比較的誰にでもあることなのではないだろうか。 中学か高校の時、この作品(一部抜粋)が国語の文章題の教材で取り上げられていた。 今にして思い出し、全文を再読してみた次第である。 ------------ 【参考URL】 ◆『トカトントン』全文は こちらでも読むことができます。 ↑青空文庫 (著作権が切れた作品をWEB上で公開しているページ)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 9, 2005 09:46:54 PM
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