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昨日のブログ「通訳というお仕事」の追記です。
私が読んだ本の中には、次のような言葉で書き表されていました。 著者:寺門琢己さん ----------- >>『自分らしい言葉で話すには?』 >>僕はこれまでにいろんな本を書いてきたけれど、 >>それは「からだ」や「人」というものについて >>実際に自分で見聞きして、さわって調査したことを >>報告する場のひとつだと考えているんです。 >>つまり、からだの「ドキュメント・リポーター」。 >>同じ文章でも、 >>たとえば小説の場合は、 >>AくんとBくんはそれぞれこういうふうに考えていて、 >>そこから確執が生まれて……とストーリーを考えながら書くわけだから、 >>書いている本人がその時々で >>自分がAくんの意思になったり、 >>Bくんの意思になったりしなきゃならないでしょう。 >>だから小説を書くのって、 >>その人自身の思考回路が壊されるような、 >>すごくキツイ仕事だと思うんです。 >>僕は以前、同時通訳の仕事をしている人を >>患者さんとして観ていたことがあるんだけど、 >>症状がヘビーな人がけっこう多いんだよね。 >>通訳という仕事は、要するに、 >>自分では思っても考えてもいないことを言葉にして話すわけでしょう。 >>たとえばロシアのプーチン大統領が言ったことを日本語にしたり、 >>それに対して小泉首相が言い返したことを >>ロシア語にしてプーチンに伝えたりするわけ。 >>そういう作業って、 >>いちいち自分の回路、フィルターを通しているんだよね。 >>そうしているうちに、 >>頭や目、首、肩にすごい不快症状がでちゃうんです。 >>●言葉が「からだ」を支配してしまうとき >>子供の頃から海外で生活していたり、親が外国人だったり、 >>生まれ育った環境のおかげで自然にいろんな言語を取り扱うフィルターが >>できあがっている人はいいんだけど、 >>努力して通訳になったような人は、 >>自分のからだをボロボロにしながらやっているようなものです。 >>ある言葉を通訳する際には、 >>通訳の対象の人の感情を生理的に、しかも反射的に連想して、 >>そこから言葉を出すわけ。 >>自分をフィルターにしてそういう作業をしているうちに、 >>その言葉に支配され、占領されて、 >>それを追い出すのに大変な思いをすることになるんだよね。 >>しかも、追い出そうとしても、 >>やっぱりその言葉はその人の中に残ってしまうみたいなんです。 >>そういう通訳の作業にはものすごい集中力が必要で、 >>国際会議レベルになると >>30分単位で通訳者が入れ替わらないとできないほど大変な仕事。 >>ある人の感情から出た、すでに言葉になっているものを、 >>一度感情のレベルまで戻ってトランスレートして違う人に伝えて… >>…という作業は、からだを観る限りは重くて難しいことのようなんです。 >>●「自分の感覚」を言葉にすることで、からだはラクになる >>同時通訳の人のからだを観ていてわかるのは、 >>言葉がその人のからだにとても影響しているということ。 >>自分の感覚ではわからないことを理解しようとし、 >>なおかつ、それを別の言語で最適の言葉に置き換えて伝えようとして、 >>頭やからだに無理をさせるという証拠をみるわけだからね。 >>僕も本を書くことで言葉を扱っているけれど、 >>それは自分のフィルターを通じて見聞きしたことだし、 >>自分で感じたことを言葉にするわけだから、 >>それによって自分がすっきりするんだよね。 >>そこから気づくのは、 >>やっぱり人間は自分の言葉を自分自身から発信しないといけない >>ということ。 >>それがこころのためにもからだのためにも、 >>とても大切なことなんです。 ----------------- 三笠書房・刊『寺門琢己の言葉美人塾』 23ページ~26ページより引用 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 12, 2006 11:49:13 PM
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