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日曜日のよかったできごと、2つ。
1「旧友に再会。 かつ、私と彼女が今興味を持っている範囲が重なることがわかって 有用なやりとりができた。 2「朔夜のお婿さん候補とお出かけ。 この半年くらい気になっていて、 どう話すべきか考えていたことを、 ようやく説明することができた。 熱をこめて話すことは(誰に対しても)久しくなかったので いささか疲れたが、すっきりとした。そしてほっとした。 ---------- 1について 高校時代の友人(部活動は違うがお互い共通の友人が居て)と 例によってサシでデート(同性)。 彼女が今興味を持って勉強している分野は (アロマテラピーについて) (シュタイナーについて) (経皮毒について) (など) 私も興味があり且つ不勉強な部分だった。 お昼を食べたあと、 ロフトの癒しグッズコーナーや 書店をめぐって 情報交換をした。 彼女は大学や大学院で環境学を専攻したので、 世の中にある「自然に優しいもの」についても 選択眼にある程度自信があると話してくれた。 これからも彼女の意見を聞いてみたいことがいろいろと出てきそうだ。 ----------- 2について 「気になっていたこと」というのは 端的にいうと相手様の家の使う言葉のはしばしに朔夜サイドの家族が傷ついてしまっているということだった。 それは朔夜家と相手さまの家の 「文化の違い」に よるもので、どちらが悪いというのではないと思う。 (朔夜家サイドの人間が神経が細かいというのでもなく、 相手様が無神経ということでもないのだと思う。) 私自身「お婿さん候補」としてみている人の 無防備な言葉の使い方に神経を尖らせることがままあった。 でもそれは、「言葉の使い方が微妙に違う」という意味で「文化の違い」なのだ。 相手の言葉に傷つきそうになったり、 無神経だと不満を持ちそうになったとき、 「ああ、相手の使っているのは外国語なんだよ」と思うことを試してみた。 そうすると、相手の言葉の字面と 相手の言葉の持つ意味を分けて考えることができた。 話をしたのは 2つの家族における(言葉への意識の向け方についての)文化の違い についてであり、 そのことへの対策(具体的な名案が私にはあった)を提案したのだ。 ところで、「朔夜のお婿さん候補」の人は (現時点では)私の言葉に対して耳を傾けてくれる人であり、 邪推や曲解なく純粋に真剣に私の意図を汲もうという姿勢を見せてくれる人である。 だからこそ私も 自分の考えていることを考えているとおりに 相手に伝えようとすることができた。 (そして、おそらくはだいたい正確に伝えることができたと思う) 私が人に対して、自分の意見を(しかもわりと一方的に強い調子で^^;)伝えることは稀だ。 しかしこの人の前では、 自分が話すべきだと思うことはストレートにものを言うことができてしまう。 その理由は、 私の話がたとえネガティヴなものであったとしても(たまにそれは相手に対する苦言だったりする) 相手は曲解も誤解も逃げもせず 話の内容に正対してくれることを私が(過去の経験によって)知っているから、 安心して話すことができるのだと思う。 そういう意味では、この人は今の私にとってオンリーワンなのかもしれないな、と思った。 そして、 「話をする上での勇気」と 「内容上の解決策」を得ることができたのは 私がこの場所(「ブログ部屋」)で書き物を続けてくることができたおかげ、なのだと思う。 とくに、この1年で(自分の感情、他人の感情含め)感情の背景にある理由について冷静に考える機会を多くもつことができたおかげなのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 14, 2006 12:49:16 AM
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