カテゴリ:PQ
~時間の都合でまとまりの無い文章になるかもしれないことをお詫びします~
てぃんとんさんの3月22日の日記にトラックバックします。 「みんなの迷惑になるから静かにしましょう」 という命題は朔夜の幼少の頃から鉄則になっていた節があって。 むしろてぃんとんさんのブログに出てきた2人の女の子の屈託無さ、奔放さはそれだけをとってみれば価値あるもののように思えてきます。 電車の中で。 本屋さんで。 消灯時間以降の宿舎で。 授業中に。 「静かにしましょう」 というのはそれこそ鉄則でした。 それと同時に、 「静かにしてちょ」 という機会&気概に恵まれた人間でした。 「注意しなければいけない役割を与えられた人間であった。」 「自分のポリシーとして注意したかった。」 という2つの理由によって、 私が放った言葉&態度の数々。 ----------- >>こういう時、他のPQ開発者の皆さんだったら、どうしますか? >>ぜひ聞いてみたいです。 過去の経験を語る前に、 まずはこのてぃんとんさんの質問に答えましょう。 >>どうしますか? 何もしません。 1 自分が嫌なら、立ち去ります。 2 (立ち去ることのできない状況or立ち去るのが面倒、な場合は) 「その人たちの立場」に立って考えてみます。 今、どんな気持ちかな? 本人にとっては、今、楽しい時間なんじゃないかな。 てぃんとんさんの例からは離れますが、 電車で子供や赤ちゃんに遭遇したとき、 そして彼らがむずがっていたり、あるいは歓声をあげている時などに よく私の心理に沸き起こる変化です。 一時期、(PQ人生を始める前)彼らの大きな声にも酷く神経を尖らせることがありましたが、自分が子供の時はどうだったんだろう。 彼らのように奔放だったのではないだろうか。 などと考え出してみると、 案外周囲の人も、 「子供を温かい目で見守っている」 「うるさい子だね」というより「元気のいい子だね」という感想が、 周りの人から放たれていることに気づいたことがありました。 それをきっかけに、 「赤ちゃんや子供の発する声、音」に対しては 気に障るようなことは殆どなくなりました。 朔夜の母性が発達してきた証拠なのか。 …脱線しました。 3 1も2も不可能な場合は、 「その人たちがあたかもそこに存在しないかのようにふるまう」 (自分の中でそう思い込む) 今現在なら、間違いなくこの3つのうちのどれかの行動に出ます。 ここには 「自分がうるさいと感じるから静かにしてほしいと思う」 「周りの人にも迷惑だから静かにしてほしいと思う」 の2つの動機のうち、 後者が完全に欠落している点に注目です。 そう、注目です(笑) 冒頭に書いた鉄則とともに幼少時代~高校時代を生きてきた朔夜にとって、 この「後者を意識から欠落させることができた」というのは画期的なことなのですよ。 (余談ですが、これは大学時代に哲学の片鱗にふれることができたおかげだと思っています。) 1~3の次。 「どうしても私がその人に注意しなければならない状況(or立場)にあるとすればどうか?」 その時こそ、自分のPQ力が試されるかもしれませんね。 あるいは、「島田検定で言う方のPQ力」が試されるのかもしれません。 わが職場の人たちは、私を除いて3人居ますが、 どのお方も上手いと思いますよ。 ここもまた余談なのですが。 同じ職場に居て、そういうところも吸収していきたいと思う朔夜です。 そうそう、「EQ~こころの知能指数」という本の中に、 「電車で酔ってくだをまくオッチャンをその場でなだめてかつ癒してしまう日本のEQ高い人」という例が挙げられています。 興味があればお目通しされてはと思います。 ちなみに、上記書籍は外国書籍ですが、 例に挙げられていた「EQ高い人」は偶然か否か、海外在住の日本人でした。 本筋に戻りましょう。 「どうしても私がその人に注意しなければならない状況(or立場)にあるとすればどうか?」 という問には、 「過去私がした注意を意味する行為の中で最も良かった(←自己採点)と思われる例」を挙げて、答えておきたいと思います。 シチュエーション @書店 私:書店の店員 Quiet,please. と言いたい相手 :地元の中高生男子2人(制服姿) 下りエスカレーターの手すりによじ登って そのまま私の目の前を下ってきた 私が取った態度 冷たい目で一瞥をくれた。 目には激しい怒りがこもっていた (その時他のことでも怒っていたのでやつあたり含む) 結果 「やべー、怒られる・・・」 と呟いて即座にふざけるのをやめた。 (てか本当は中高生にもなってそんな幼稚なふざけ方はやめてほしいんですけど…) 小学生エスカレーター転落事故というのもありましたし(>_<) その時の動機 「店員として公共の迷惑になる態度は慎んでもらいたいという気持ち」 「危険な行為をして怪我でもしたらどうするのだという心配な気持ち」 「神聖な私の職場を荒らすなという怒りの気持ち」 などなどが 「相手の行動をやめさせたい」という気持ちにつながった 感情の発露の仕方で良かった点 ・相手に意思が伝わった ・相手の心に伝わる伝え方だった ・自分の嘘偽りない純粋な気持ちをなるべくストレートに伝えられた この3つが両立していた点が良かったと思います。 今ではそんなことできない。 「他人のためにそれだけエネルギーを使う」ということが面倒だし。 書店員時代よりは 「ひんぱんに他人に注意をする義務がある」という状況からは離れることができたし。 そういう意味でも 書店人時代は勉強になった。 「自分の気が向かないのに人の行為に口をはさままければいけない」のにはうんざりだよ、もう。 (次のブログへ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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