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「号泣体験」とタイトルにありますが、
倉本圭造さんの力作バイブルにある号泣体験とは また違うお話です。 ------------ 先日の日記へのコメントで、 つくばKMさんが 「ケンカしたときに自分から謝れるのはスゴイ」と褒めてくださいました。 ありがとうございます。 自分ではあまりスゴくないようなことに感じられたので、 スゴくない理由を考えてみました。 【スゴくない理由】 私は「謝る」以外の手段でケンカを収めることができない(苦手)。 だから謝る。 ということのようです。 ちなみに、誠意のある謝り方をしようと思えば 本気で心から謝ることが一番なわけで。 相手が正しい場合はそうできることはイイことだと思います。 相手が理不尽な場合は、考え物かも。 (自分の考えと対立していたはずの)相手の考えが自分に乗り移ってしまうから。 たとえば仕事でなら、 相手が理不尽でもとにかく謝ることが大切な場合だってある。 相手が家族や恋人や友人ならどうなのだろう。 表面だけでも良い関係を築きたいなら、 自分の意思に反して謝ることも(とりあえず処世術的には)良いのかもしれない。 そうでなくて、 表面だけでない関係を築きたいなら そのひとが自分にとってのオンリーワンであってほしいなら、 (ただ、怒られて謝るだけでなく)自分の意見や主張も、いつかは伝えた方がいいのだと思う。 ----------------- 先日の日記では「私はどうやらダーリンにカスタマイズされているらしい」 (そしてそれはある意味嬉しいことでもある)と書いた。 そしてダーリンにも 「ダーリンにカスタマイズされるのが快感」 と言ってみた。 電話だから表情はわからないけど、 ダーリンは返答に困っていました(笑) 彼が返答に困った理由を、 私の発言がエキセントリックだったからだと思っていたけど、 そうじゃなかったのかもしれないな。 彼が返答に困った理由は、 私の発言が私の真意じゃないと 思ったからなのかもしれない。 私は真意のつもりで言ったけれど、 半分はそうではなかったことに昨日気づきました。 ダーリン色に染まるのは嬉しいけれど。 ダーリンにしかられて謝って改善するのはよいことだと思うけれど (とくに、ダーリンの価値観と私の価値観が違っていてそのすりあわせを行う場合) やっぱり今の私は、自由を愛する人間みたいだ。 --------------- 適切に怒るのが苦手な私は、 ダーリンとの電話で 怒るかわりに泣いていた。 理由はなにも言わずに泣いていた。(※) ちゃんとケンカできたのが嬉しかったと書いたけれど、 そう思う自分がいる一方で ケンカして 「ねじふせられた」のが悔しかったのも本心。 ただダーリン色に染まるだけでは 自分がなくなってしまうので (人に影響されやすい私の場合は特に)、 こういうすりあわせの仕方もたまにはいいのではないでしょうか。 ※ 泣く理由を説明することもできるけど、 言葉にすればダーリンを責めることになるから。 今はそれはしたくないから、言葉にしない。 今までダーリンには我慢してもらったこともあったから、 今日は私が我慢する番、 とだけ説明した。 泣いているのは、多分怒っているかららしい、とだけ伝えた。 主張が(相手の腑に落ちる言い方で)うまくいえないから泣く、 というのは 幼い子どもと同じなんだけれど。 自分の感情を抑えないという点では 幼い子どもに学びたい。 【蛇足】 ケンカの内容は、客観的にみれば多分どってことない(些細な)ことなんですけどね^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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